『上宮聖徳太子伝補闕記』
平安時代初期に成立した『上宮聖徳太子伝補闕記』は、聖徳太子に関する広隆寺系の伝記と見られています。この伝記の編者は内容によほど自信があったのか、冒頭で次のように宣言しています。
「『日本書紀』、『暦録』や四天王寺の『聖徳王伝』などを詳しく調べてみると、十分に吟味されていない内容が見受けられ、憤りに堪えない。そこで古老を訪ね、古い史料を探し、(聖徳太子と縁のある)調使・膳臣らの家記を入手して調べてみた。内容はほぼ同じだったが、相互に異なる点もあり、捨てがたいものがある。そこで、それらを整理して記録することにした(漢文を筆者訳)」と。
このように、『補闕記』は冒頭で、『日本書紀』、『暦録』や四天王寺の『聖徳王伝』という史料を調べて疑問が生じたので、古老を訪ね、さらに家記などを詳しく調べたと作業手順を自信たっぷりに述べています。
この記述から推測すれば、この編者は聖徳太子の事績に強い関心を持ち、『日本書紀』のほか、さまざまな史料を詳細に調べ、『日本書紀』などの記述に誤りがあると確信したのです。
これほどの高い見識と自信に漲り、義憤に駆られた『補闕記』の編者が、天智紀の法隆寺大火災記事をどのように見ていたかという点は、『補闕記』が平安初期という法隆寺大火災に比較的近い時代に編纂されたことを思えば、大いに注目されるところです。