◎記紀研究
記紀をはじめとする古代文献の研究で名高い坂本太郎博士は、その著書の中で「記紀で研究する前に、記紀を研究しなければならぬ(下線筆者)」と述べておられます。
この言葉には広い意味があるのでしょうが、一つの理解としては、記紀に記載された内容を鵜呑みにして古代史研究を進めることは危険であり、まず記紀がどのような背景で編纂され、何を目的としているのかなど、その正体を明らかにすることが必要である。それを軽んじると、古代史研究は間違った方向に進む惧れがあるという警告と見ることができます。
たとえば、コンパスで円を描く場合、中心となる針がしっかり固定されていれば多少いい加減にコンパスを回しても正確な円を描くことができます。しかし、少しでも針がブレてしまうと正確な円は描けません。
これと同様に、古代史研究の基本史料である記紀の正体を確認しないまま研究を進めても、針が安定しないコンパスを使うようなもので、信頼性の高い研究にはならないという戒めです。つまり、記紀はコンパスにたとえれば針の部分に当たり、記紀の研究が不十分で、その信頼性に不安がある場合、古代史研究は覚束ないという警告です。
実は、右に紹介した法隆寺の大火災記事(参照:第2回『日本書紀が語る「法隆寺の焼失」…あまりにも不可解な記述とは』)は『日本書紀』の中で最も重要な記事であり、この記事の意味が正確に理解されない限り、真の『日本書紀』研究が始まったとはいえないのです。逆に、この法隆寺大火災記事の意味が正当に理解されたとき、『日本書紀』研究は飛躍的に進んだことになります。
法隆寺の大火災記事は漢文で二十四字と、全体から見ればわずかな記述ですが、『日本書紀』研究において、あるいは古代史研究全般において、きわめて重要な意味を持っています。今の段階では、何を言っているのか事情がが呑み込めないでしょうが、法隆寺大火災記事の真の意味が理解されたとき、日本の古代史は一変することになります。