【前回の記事を読む】武装した異国船が…「すぐ入り江を立ち入り禁止にしなければ」

異国船難破

河北藩には日本海に面して南から蕪木郡、二河郡、河北郡と三つの郡が並んでいる。その三つの郡の海岸線に海防のための六つの番所が設けられていた。番所は常に海上を監視するために、近くの高台あるいは(やぐら)を組むなどして見張り所を置き、そこから番所とは手旗で連絡を取っていた。見張り所は海難事故を防ぐために、夜になると石組の櫓の上で火をたき、灯台の役目もした。

河北郡の北部は巳の海と呼ばれる入り江があるが、岩場が入り組んだ複雑な地形で、人が寄りつけない場所なので、海防の必要がなかった。後は、南の坊の入り江まで途中に幾本かの川の河口があって途切れるが、延々と砂浜の海岸が続く。

北に一番近い海防番所は巳の海と金崎港の間に、二番目は金崎港を見渡せる舟手奉行所の近くにあった。あと、中央の二河郡を流れる浅川と一の目川の河口、蕪木郡と二河郡の境目に当たるところにも番所があった。一番南にあるのは疾川の河口にある疾の番所である。

坊の入り江に一番近い疾の番所は側に見張り所もあるが、そこから南側にある鷲の嘴という山が張り出しているので、坊の入り江が見えなかった。

小粗衣の屯所からの連絡を受けた番所では、鷲の嘴の(いただき)まで人を出して、坊の入り江の異国船の様子を見に行かせ、その傍ら、坊の入り江に通じる道を封鎖した。

萱野軍平、若宮伸吾、緒方三郎の三人は疾の番所に寄って様子を聞き、外海は波が高いから舟でなく陸路で坊の入り江に向かった。疾の番所の番士二人が道案内した。

疾川沿いに上流に向かい、滝壺に至る手前を右に折れて、山間の道をたどる。松や雑木が両脇に覆いかぶさるように林立しているなかを登って降りると、突然、視界が開け、窪地状の砂浜に出た。そこは三の窪と呼ばれ、その前面は坊の入り江の海である。その場所は鷲の嘴に続く山が北からの風の風よけになっている窪地で、そこから砂浜の海岸を東に向かうと、二の窪と呼ばれる窪地に出る。

さらに東に進むと吹の村に行きつく。吹の村がある一の窪と呼ばれる窪地は広く、奥まったところの山の手は開墾され、田地があった。その日は、天気は良いものの、風が強くて入り江には波が立っていた。