上り下りする前に抽象化する想像力と概念操作の能力がない
PCをお使いの方は、ご自分のデスクトップに幾つフォルダがあるか、一度数えてみて欲しい。経験的には、一度に眺められるフォルダは、精々10個以下のような気がする。しかし、常にフォルダを統合整理しないと、あっという間に増えていく筈だ。
ただ、フォルダの統合整理は意外と難しい作業だ。なぜなら、フォルダの中に含まれるファイルの性格を一言で表す適切なフォルダ名が、なかなか見つからないからだ。
フォルダの数を減らすことを追求するあまり、抽象的な言葉ばかりを使うと、階層が増え過ぎて検索の手間がかえって増えてしまう。そうかと言って、緻密な分類を追求し過ぎると、フォルダ数はなかなか減らない。
前者の例としては、マクロ環境の把握に使われる「PEST分析」というツールが挙げられる。会社の戦略を立てるのには、自社を取り巻く環境を、考えられる全ての側面から捉える必要がある。漏れなく重複なく環境を捉える枠組みとして、政治(Politics)経済(Economics)社会(Society)技術(Technology)の4側面から環境を分析するマーケティングの方法だ。
確かに、これは会社を取り巻く環境を俯瞰するには良い枠組みかもしれない。しかし、デスクトップに「政治」・「経済」・「社会」・「技術」の4つのフォルダしかなったらどうなるだろう。例えば、私が取り組んでいる「自己表現」はどこに入るのだろうか。
仮に、政府の新型コロナウイルス感染拡大防止のための緊急事態宣言の解除に意見を述べるとすると、政策という観点からは「政治」だし、経済活動再開という観点からは「経済」だろうし、ソーシャル・ディスタンシングという観点からは「社会」だろうし、テレワークの定着という観点からは「技術」だろう。
早い話、抽象度が高過ぎる分類は視点の提供には役立っても、個別の情報の分類には役立たないのである。結局、抽象度を高めるとフォルダ数は減るが、逆に検索能率は低くなるのだ。大抵の人は、この時点でデスクトップの整理を諦めてしまう。