第2章 解釈
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ケントは目をそらし、窓から外を眺めた。視線を追ってユウも外をながめた。ワイシャツの袖をまくり、ハンカチで額の汗を拭いながら、重たそうなカバンを引きずるように歩くビジネスマンがいた。こちらにもあちらにも。
営業回りなのだろうか、または営業回りが終わって一旦会社に戻るのだろうか。みな急ぎ足だった。人通りの中には周りに不釣合いなTシャツに短パン。サングラスを掛け、それぞれに大声で笑いあっている若者の集団もいた。
9月初旬。学生はまだまだ夏休みなんだ。そういう時もあったなとユウは懐かしく思っていた。
「ところでユウ。覚えてるか? 大学2年生の夏休み。車で軽井沢に行ったこと」
そう話すケントの横顔を見ながら、その時の事を思い出していた。照りつける太陽の下、仲間4人でドライブした光景が眼の前に浮かびあがってきた。思い出したくない大学時代。しかも最も思い出したくない、あの夏休み。
楽しい思い出というのは、今が楽しくなければ、その分よけいに輝いて思い出される。思い出すまいと強く意識しても頭から出ていかない。派手めのサングラスを掛け、初心者マークを付けたレンタカーでドライブしたあの光景だ。ケントと仲間とドライブしたんだ。そんな時もあったんだ。
「レンタカーを返す時にさ、ガソリン満タンで返せって言われてて。でもレンタカー屋の近くのガソリンスタンドが見つけられなくて。その時、誰かが言ったんだよな“そのままでいいんじゃないか”って。“メーターのインジケーターが1個減ってるだけだし、普通、店側はそんな細かくチェックしないぜ”って。そしたらさ、ユウが言ったんだよね。“それはダメだろう〞って。“それは不正だ。嘘はいかん。仮にバレずに少しばかりの金が浮いたからって嬉しくないだろ”“その浮いた汚れた金で飲み食いしたって旨くもなんともないよ。正直に生きようぜ”って」
ケントは窓の外をながめながら続けた。
「ユウはさすがだなって思ったんだよね、その時。正義感が強いのは感じてたけど、なぜだかそのシーンをはっきり覚えてるんだよね。だからその後、なんか判断に困ったことあるとユウに頼るみたいになっていったんだよね。頼りすぎてたなって、今さらながら反省してるんだ」
その時は、なぜだかルールを破ることができなかった。正義感ではなくルールや規則や約束を破るということに嫌悪感があった。してはいけないことだ。神様に叱られる。そう言って育てられたのかもしれない。
「そっか」と言ってユウはコーヒーを一口飲んだ。窓から視線をこちらに移し、ケントが言った。
「正直でいいのは学生の時だけだよな。会社員なんて正直者じゃやっていけないだろ? この質問には正直に答えろよな」
どう答えていいのか。頭の中で言葉を探していた。こういう脳内での行為はいつぶりなのだろう。耳から入った情報が脳を通り、さも自分で考えたかのように口から出る毎日だ。まさに心のない言葉だった。
心でしっかり考えることがなかった。正直とはどういうことかと、自分に問うて答えを探す。自分の考えを、真剣に答えを探っている。何か心地良いものを感じた。
「そうだよな」と言うのがやっとだった。前職でトクホの不正を問うたのも正直であれと思ったからだ。その結果、今の職に就いた。自分の正直さを貫いたはずだった。
ところが今の自分はどうなんだ。正しいかどうかは他人に任せ、知らん顔なのか。半年前、ケントから届いた申請書類も目を通すこともなくマレーシアに送っただけだった。
Dir Sir/Madam
Could you check the file attached?
Thank you
You!!
それだけのメッセージと共に転送したまでだ。今、自分のやっていることは正しいことなのか。
「ユウはタバコやめたのか?」そう言われるまで気づかなかった。職場を出るときに慌ただしくて、タバコを持ってこなかったのだ。タバコを吸わずに会話をしていた。タバコが社会人へと変身させてくれる必須アイテムだと思っていたのに。
「たまたま手元にないだけだよ」
「タバコやめたほうがいいぞ。ユウ。20歳からは吸ってもいい。これは許されたことだよ。20歳から吸えっ、ていう義務じゃない。20歳超えて許されるから吸わなきゃ損だって思ってないよな。大学の時には吸ってなかったし。今日をきっかけにやめたらどうだ」とケントは笑った。ケントは席を立ち言った。
「ユウ。次に会う時までの宿題だな。さっきの正直とは何かっていう謎掛け。驚きだな。ユウに貸しを作る時が来ると思わなかったよ。今まで借りてばっかだからな」
じゃまたと言って、ケントは伝票を持って行ってしまった。