第一章

ついに父が家を出る。父の仕事の都合で、昇進前に離婚は体裁が悪いと離婚届けはまだ出していなかった。母がそれを提案したのだ。

別居というだけで離婚が成立したわけではないが、父がいなくなるという事実が重要なのである。家には静けさ、自由と平穏が訪れ、私は母とリビングでそれぞれの時間を過ごしていた。ゆっくりと時計の針の音が響く。嵐は去り、静かにときが流れているようだった。

「いい加減にしろぉ!」

突然、父の怒鳴り声が聞こえてきて、すぐにそれが幻聴だと分かる。

私も母も、いなくなった父の声が今でも脳内に残っていて、それはなかなか消えてくれなかった。

「まだ声が残っとるね」

「相当酷かったもんね」

決して笑い話にできるほどではなかったが、そんな会話ができるくらいにはこの家にも平和が戻ってきていた。私は前ほど母に当たらなくなった。それでも、殺伐とした空気は依然として私に纏わりついていた。

父がいなくなって半年過ぎ。別居生活から正式に離婚したあとの初夏、私は夢をみた。いや、夢ではなかった。私は目を開けていたのだ。体は動かない。

窓から入る風でレースカーテンが揺れている。その揺れているレースカーテンに乗って来たように、半透明のものがたくさん部屋に流れ込んで来た。それはハリーポッターでみたワンシーンにそっくりだった。幽霊だ。

これは夢なのか、現実なのか、体は動かない。はっきり見える、それを目で追って確認したあと、頭が動くことを知り隣のベッドで横になっている母に顔を向けた。よく見ると母の胸は上下に動いていたので寝ていることを確認した。これは現実だ、と途端に奇妙なそれが少し怖くなり目を強く瞑った。