和木重太郎、惣右衛門に推薦される
「文はわしが持って行ってやろう」
帰藩するのは加持惣右衛門だった。近く義政がお国入りするので、先行して国元の重臣たちと打ち合わせをする必要があると言うことであった。
惣右衛門は義政に、
「重太郎は出来る男です」
と進言した。
「よし。近習として出仕させろ」
藩主の義政は近習に剣術に秀でたものを採用していた。要するに強い奴が好きなのである。
なかでも一番のお気に入りは加持惣右衛門である。しかしながら、すぐに惣右衛門の気働きと記憶力の良さが知られ、家老の岩淵郭之進が、いずれ自分の後釜にと用人の見習いに引き抜いた。いまでは、惣右衛門は岩淵よりも小回りが利く分、忙しい。
義政としては自分の周りに穴があいたような気分になっていたのだ。そこに重太郎が現れたのである。
「恐れながら、いまの立ち合いでまだまだ修業が足りないとわかりました。しばらく猶予をいただけないでしょうか」
当の重太郎は恐れ多いことだと、申し出を断ろうとした。
「重太郎。お殿様はお相手が欲しいのだ。居を中屋敷に移してお相手をしろ。後は好きにすればよい」
惣右衛門は義政の意向も聞かないで話を進めている。
重太郎は藩主義政と加持惣右衛門との間に、身分を越えた明白な信頼関係があるとわかった。その信頼関係は、義政が藩主になって間もなくに築きあげられたものだったのだ。
惣右衛門がまだ新宮寺司と名乗っていたとき、加持家一家惨殺事件が起こり、唯一の生き残りである美月を助けた。それをきっかけに、義政は司に目をかけ、美月と娶せて加持家を再興させたのだが、そのおりに、義政は江戸にいたときのことで気がかりなことがあるからと、司を江戸に遣わした。
それは、義政がまだ世子であった頃に起こしたことで、家老の岩淵郭之進も承知のことであった。
世子の義政は江戸藩屋敷で窮屈さを覚えると、両国橋を渡った先にある下屋敷に出かけては、町人風に姿を変え、街に繰り出すなどしていたのだ。小さい頃から武芸に励んでいたから、身のこなしが良く、いなせな感じだった。
あるとき、義政は若い娘にちょっかいを出していた三人組を見咎めて喧嘩になり、相手を叩きのめして助けたのが縁で、娘に慕われるようになった。