第一章

ある夜、叫び声とともに大きな物音がして、一階のリビングにいた私は慌てて階段から兄の部屋の様子を伺う。母は急いで駆け上がり助けに行くと、怒り狂った父が二階の窓から兄の勉強道具を投げ捨てていた。一階のリビングから様子を伺う私は、駐車場辺りから聞こえてくる投げ捨てられた教科書の音を、小動物の物音だと思って気づかなかった。

母が必死で兄をかばおうとするが、体格の良い父に虚しくも力で負けてしまう。少し経って三人が降りて来る。私はそっとみんなの様子を見ていると、洗面所に向かう兄は鼻血を流していた。私には兄が酷い目に合うのも、両親の争いを見るのも辛く、なにより父の叫び声のような怒鳴り声がトラウマだった。

頭を抱えてしゃがみ込み「早く終わりますように」とその声が止むのをひたすら待つ。こんなことが日常的に起こるこの家の中では、母の存在だけが頼りだった。

父の暴力の影響は私にも及んだ。苛々している父から理不尽に怒られ手を出されることがある。それを母に言っても「お兄ちゃんに比べたらあんたは何もされてない」と相手にされなかった。誰も自分のことを理解してくれないと、卑屈になり閉鎖的になり、大好きな母もこの時ばかりは嫌いだった。

どんなに罵声を浴びせられても誰も口答えできず、私達はすべての感情を抑え込むしかなかった。それほど父は恐ろしい人だった。

我慢に耐えた後で一人になったときに泣いた。蓄積された怒りや悔しさのはけ口が分からず、誰もいない場所で静かに感情が爆発することもある。常軌を逸した行動をとる子どもの話を聞くと「かんしゃく」の一言で片付けられない理由があるのではないかと考えた。

街中で小さな子どもが親に怒られ叩かれているのをみると、この子は将来叩く側の人間になるのだろうか、天真爛漫に育つことはないのだろうかと、冷ややかな目で見てしまう。それは私自身が怒りを抑えられず、テレビのリモコンやティッシュ箱を壁に向けて投げてしまったことがあるからだ。そういう時は決まって父のような行動をとった自分にがっかりして落ち込んでいた。