春、自宅から近い桜女子中学校へ進学すると、極端に内気な性格だった私は自分を出せずにいた。母に弱音を吐いては「強くなりなさい」と言い聞かせられる。毎日のように泣きついてくる私を甘やかすわけでも突き放すわけでもなく、いつも背中を押してくれる母は女神様のようだった。幼い頃から母を頼り、母と二人きりでいることが、私の唯一の心安らぐひとときなのだ。

二年目、クラスのメンバーも変わり徐々に打ち解けて学校生活が楽しくなる。一方で学業をおろそかにしてしまい、成績が下がるにつれて父が怖くなった。学校が天国のような場所だとするなら、実家は陰気臭い空気が重たくのしかかってくる薄暗い場所だ。

すべてが父のせいなのだから、家に帰って来ないことを祈った。その願いはどこにも届かず、今日も車のエンジン音がして、父の帰宅を察知すると「帰って来た!」と、兄と一緒に階段を駆け上がりおのおの自分の部屋へ避難する。その安易な企みはすぐに見破られ「おい! お前らおりてこい!」と階段を駆け上がる足音に気づいた父から連れ戻される。

父の説教は少なくとも二時間は続き、私も兄も、傍らで聞いている母さえもぐったりとしていた。父が疲れ果てるまで絶対に解放してくれない。まったく本当に無駄な体力だけは有り余っているのだと、感心さえしてしまうほどだ。

皮肉なことに、勉強をしろと言う割に、その貴重な時間のほとんどを説教で無駄にさせていたのは父だった。父が激怒するたびにテレビが新しくなる。ブラウン管時代から今までで、三度もテレビがひっくり返され、ゴトンと鈍い音を立て、転がるのをみた。

私は父の説教が心底嫌いだ。家族で行く予定だったサーカスのチケットを目の前で、キッチンコンロの火を使って燃やされたこともある。母が「仕事の都合で遅れるから現地合流にしたい」といったことに腹を立てたのだ。結局チケットを新しく取り直したのだからバカだと思う。

頭に血が上った父は本当に手がつけられなくなる。そんな父の背中をみて育ってしまったから、いずれは私もそうなってしまうのではないかと不安に煽られることもあった。自分が怖かった。