教権・王権・金権
アッシジからペルージャへ行くバスの中で、添乗員が言うには「今まで、バスの中にイタリア人が一人乗っていたのに気がつかれましたか。一体あの人は何だったのでしょう」。そういえば変な「おじさん」が運転手の横にいつも座っていた。添乗員の説明によると、彼は法王庁の派遣員だと言う。最近、若い日本の旅行者の中で、キリストが十字架にかかっている真似をしたり、聖人の墓の上でVサインをしたりする輩が現れた。それを聞いて激怒した法王がローマ付近の日本人ツアーに監視員を付けるようになったのだと言う。かつて中国でも共産党員の監視員が付いたこともあったが、最近はないようだ。
ウンブリア州の州都ペルージャに着くと、丘の上の瀟洒なホテルへ投宿した。テラスから街を見渡すと、オレンジ色の屋根が連なり、どこをとっても絵になる風景である。丘の下へ降りると、何と丘にぽっかりと入口があり中に入れる。中は古びているが二層の立派な宮殿の跡である。ここは昔法王領だった時代のもので、法王とペルージャの領主との戦いがあった時、勝った法王方が土で埋めて上に館を建てたのが、後に領主方が盛り返して、再び土で埋めて復讐しこの丘ができたという。入口は後世にあけたものだそうだ。
かつてイタリア統一以前は大勢の領主がいて、お互い同士も戦い、法王勢とも戦っている。この件に関して日本の信長(彼は特別の思想家だったが)だったら叡山の焼き討ちのような方法を取っていただろう。日本の建物は木造だからであるが、宗教権力に対する激しい増悪は日本以上だったと想像される。
翌日、フィレンツェへ行った。ここはメディチ家の商業の手腕で維持された金権国家であった。芸術が栄えたが、宗教権力の干渉は熾烈なものであった。ボティチェリなど異を端として迫害したサボナローラは、最後に自分が異端とされて広場で焚殺された。それでもウフィツィ美術館のボティチェリの「春」や「ヴィーナスの誕生」は無事に残り、その魅惑的な美しさは我々を楽しませる。
今回のイタリア旅行はキリスト教の本体を知るには、恰好のチャンスだった。非常に激しい動きを起こすキリスト教に対し、落ち着いている仏教の認識の差。そのことが今日の東西文化の差としてどう捉えられるか。信仰のことだからあくまで私見であるが、昔、多神教だった頃の古代ローマの風習が今日も残り、マリア様とか聖人への信仰になっていて、それは私たちがお不動様や観音様を信仰するのと結局、現世利益という点で結びつくと思う。更に大事なことは釈迦とキリストの見ていたものは、深い所では一致するということである。
しかしながら、最近は宗教紛争が絶え間ない。ラジカルな異端宗派の非寛容性をつくづく思う。