「じゃ、待っているよ。そうしたらデートしよう」
「だめよ、私は若くないし美しくもないわ」
「そんなことはない。僕だってそうだよ。君は美しい、キュートだよ!」
「…………」
なんか面倒くさいな。するとカウンターから出てきて、両手を広げて微笑んでくる。ゆっくりした足取りだ。意味わかんない。
「君はハズはいる? ノーハズ?」
そんなもんはいないので、「ノーハズ」と答えると、胸に手を当てて、「僕が君の心のハズだよ。君は僕の心にいるよ」とそれはそれはしっとりと言う。
私は思わず口を開けてあっけにとられてしまった。しかも、最後のheartの発音のRの発音だけやけに舌を丸めてしつこく発音してハ~トと言っている。
心に届くように伝えているということなのか、フランス語の発音がそもそもそういうものなのか。いずれにせよ、フレンチだなぁ。でも心に響かない。
仕方がないので「ありがとう」と私が言うとハグとビズを求めてきた。頬へのビズは私もスマートに応じたが、唇を合わせるフレンチスタイルまではできないと断ると、自分の人さし指を唇に当てて「ここにも。これがフランス式だよ」と顔を寄せてくる。
仕方ないから私は一瞬のビズを我慢した。どうして、リヤードじゃないのだろう、ここでビズをしているのが。と思わずにはいられなかったが、それはそれで時間が過ぎた。
ビズおじちゃまの名前はアルベール。「ラインを交換しよう」と言われて、私がライン交換は慣れていないのでもたもたしているうちに、迎えのタクシーがやってきてしまった。時間より十分くらい早めに到着したのだった。
アルベールは言う。
「電話番号を教えて。そうしたら僕がラインを送るよ」
私は電話番号を告げて、タクシーに乗り込む。もちろんフランス語で「さようなら」を言って。
ワゴンタクシーに乗り込んだ私は手を振りながら一路、シャルル・ド・ゴール空港へ向かった。パリ滞在の最後のひとときを、一緒に笑って過ごしてくれてかなり救われた気持ちになった。
ワゴンタクシーが左岸から右岸に入る前に、すぐにアルベールから電話が入った。
「また来て。今度デートしよう」
「ありがとう、またね」
リヤードとアルベールのあまりの違いに、リヤードってある意味正直だな、と思わずにはいられなかった。私はフランス人じゃないからわからないことだらけだし、彼は彼でわからないことばかりかもしれない。こういうのを心残りと言うのだろう。