〈ご苦労様でした。すぐに対応してくださって助かりました〉と言うと、
「病院の人にも、すぐに来てくれて良かったと言われましたよ。先生(私)の言い方に驚いて病院に連れて行ったはいいものの、半信半疑だったんですよ、待っている間は。何を言われるんだろうと心配してました。何しに来たんですかって言われるんじゃないかってね。そうしたら先生(医師)が、これはすぐ入院ですって。手遅れになるところだった、連れて来てくれて良かったですよ、お母さんって言われました」
嬉しいというのとは違うが、何か高揚した、やりましたっ、あたしやったの?というような気持ちが伝わってくる話し振りであった。
入院した娘は、当初安静を命じられて勉強ができないと泣いていたそうだが、母親は毎日着替えだなんだと持って会いに来てくれる、スタッフは優しい、そして栄養状態と体重が回復したら勉強していいと言われ、すぐに治療に専念するようになったそうである。
順調に体重が戻り、期末試験は病院から受けに行ったが、夏休み前には退院して通院に切り替え、後期が始まる前にはカウンセリングにも顔を出して、嬉しそうに生理が始まったと報告して帰っていった。
そして母親である。
「いやあ、今回はさすがのあたしもまいりました。先生はどうして他人の娘にあんなに必死になったんですか」
〈あなたの娘だからです〉
「えっ……」
〈彼女が摂食障害になったのはあなたに可愛がってもらえないことが一番の原因だと思いますが、それでも彼女はあなたのことを嫌ってはいないようですよ〉
「うーん、いや、まいったなあ」
〈お嬢さんは、あなたにとって一番の理解者になる可能性を持った人です」
「はあ……そうですか、今から育て直しですか……」
まんざらでもない顔で言った。
嫌いなペットから、少しは手をかける甲斐のあるペットくらいに昇格したであろうか。この母親にとって、いつの日か娘がペットから自分の娘になることを願いたい。
ペットとは思わなくとも、母親にとって娘は、娘であるがゆえに手をかけることが嫌で仕方ないことがある。世の母親は、そういう瞬間をどのように凌いでいるのだろうか。