神が答えるのは、人が最初にイメージした内容

神(または霊)が答えるのは、人が最初にイメージした内容である。最初にイメージするとは、人は何かの考えをまとめるときは、始めてからしばらくしないと文章化できない。文章化した時点のイメージには神は答えない。

答えるのは、人が最初に考える0.1秒程度の時間でイメージした内容である。考えている内に、訂正が必要なら人は文章化していく段階で、最初の内容を訂正してしまう。でも神は、最初に考えた0.1秒の内容に答えるのである。

だから神の答える内容は、よく考えた人間から見ると、間違いが多いのだ。神の答えに間違いがでると、人は強く怒りの感情を出し、それ以降神の声は聞こえなくなる。

神は、人が考えたことを正直に話しただけなのだ。人はそのことに気づかず、ただ強い怒りを出し、神が嫌気をさして二度と話さないと決めたからである。私は、人が最初の0.1秒に何をイメージしたかを理解するのは、極めて困難だと思う。突然、重要なことを思い出したときなどは、これは0.1秒で考えたとはっきり意識できる。しかし、普段の生活の中で、ひとつひとつの行動で、0.1秒で何を具体的にイメージして考えたかは難しいと思う。

怒りの感情とは、あなたの魂の感情である。人の心の感情ではない。人は反省できるが、魂は違うものなのだ。人が言う反省するとは、よく自分で考え文章化した後の反省という意味である。

魂の反応は0.1秒であり、この短い時間で反省できるかということである。答えは、人の魂は、自分に対し気に食わないことを神が答えると、大いに怒り反省などできないのである。だから長く話そうとしても、そんなには続けられないのだ。

長く話が続いていくのは、尋ねる内容が、0.1秒で考えるイメージと、文章化した内容がほぼ一致しているからなのだ。尋ねる内容が、特定分野に限られていることも続けられる。さまざまな事を尋ねれば、0.1秒のイメージと文章化の内容は食い違ってくるのである。