もし、人によって神の威厳の感じが、一般人と同じイメージになるならば、親しみやすい神として聞こえてしまう。神は、人の知識を使って話すといったが、神のイメージも人によって多少違っているので、それなりに違って聞こえるのである。だから教養の低い人が神に尋ねると、それなりに内容の薄い言葉が聞こえる。神に対するイメージが違えば、神の威厳の高低も違って聞こえる。
神の声の内容は、全て聞く人に左右されてしまうのである。神ではなく、親しい人が亡くなった場合、亡くなった人を強くイメージして、尋ねると、神は亡くなった人に変化して、答えるのである。これもまた人の考えに左右されているのだ。つまり、神はいつでも神というわけではなく、人のイメージする者に変わるのが神なのである。
宇宙人とテレパシィを使って私は話している。そんな話が数十年前、よくテレビで取り上げられていた。これも同じことで、神でなく宇宙人を強くイメージして尋ねるから答えてしまうのである。冷静になってよく考えれば、宇宙人ならその人の知らないことを話してもいいと思うのだが、全部、その人が考えたことを話しているのである。
聞いた人は、神、亡くなった人、宇宙人だと、全て信じてしまい、誰一人自分が考えたことだと思うことはない。頭の中で聞こえる声が、あまりにも神秘的だから、信じてしまうのだ。作者の私自身は、神は人の考え方に左右されるものだとなぜ気が付いたのか。それは簡単なことで、神が話した直ぐ後に、その言葉はたった今私が考えたことを話したでしょう。と言い返したことがあるからである。
答えは「その通りだ」だった。神は、人の考えに左右される存在なのである。
ここで注意しておきますが、神の言葉「その通りだ」が、確実に自分が考えた内容と一致しているという確信が無いと答えは返ってこない。たぶん、そう思ったぐらいでは駄目なのである。「その通りだ」の後には続きがあった。
「そんなふうに思うのは、お前が初めてだ。だからお前は人間ではない。霊なのだ」と聞こえた。その時は何を意味しているのか分からなった。では、どうして神は話してしまうのか。聞こえた内容をもし信じると、人間社会でいろいろトラブルになってしまうではないか。その通りでトラブルになる。
人が強くイメージして尋ねると、それに答えるのが神の特質なのである。わざと話しているのではない。神の言葉は、人が考えた内容の鏡のようなものである。条件反射のような特質なのである。条件反射ではあるが、悪意ある感情は言葉として話さない。人として悪い事、嫌な事は、感情にはっきり表れ、それは神にとっても嫌なことだから話そうとはしないのである。