バキュームカーは臭くない!

健一が学生の頃、牛塚教授が言った「目を逸らし、忌み嫌われる存在が、本当は最も大事なもの」「死について最初に考えるべきだ」などの言葉は、ともすると、自殺願望のある者にとっては、非常に危険なキーワードになりそうにも思えた。その「目を逸らし、忌み嫌われる存在」とは、社会に出て疎外感に溢れた環境のなかで生きていかなければならない、健一の存在を如実に表したものであった。

しかし、牛塚教授は、「どんな人も自分の人生においては、自分自身が主役である。だから、だれでも自由に脚本を書き進めながら、劇を演ずることができる」と言っていた。それは、「さあ健一、君の出番がいよいよ来たのだ。幕は切って落とされたのだ。希望のファンファーレは吹き鳴らされている。勇気のドラムを打ち鳴らすのだ。人生の勝利の舞を乱舞するのだ」という教授から健一への心からのエールだったに違いないと思った。

「周りから目を逸らされれば逸らされるほど、忌み嫌われれば嫌われるほど、君の真の存在は、輝きを増していくのだ。人の表面だけしか見ない、浅はかな人間の評価など気にするな。自分を大事にするのだ。自分を決して卑下してはならない。自分自身に生きるのだ。誇らしく、そして愉快に君自身の勝利のドラマを演じ続けるのだ。君はそのままで輝いていける。どのようにも変わることができる。君のその鮮やかな舞や演技で、他人をも希望と勇気と勝利の人生へと変えていくのだ。君は至高の劇を演じるために生まれてきたのだ」

牛塚教授のあのときの話は、そんなことを健一に訴え教えてくれたように思えた。大学を卒業して以来、それは月日が経つほどに益々意味の大きさを増し、他に代えることのできない強固な支えとなっていった。