私は左岸をうろうろすることにした。パリ6区の大好きな左岸。大好きなサン・ミッシェル、カルチェ・ラタン。でも、どうしてだろう、そんなに楽しくないし、特別に魅力がある街ではなく平凡な街並みに見える。なぜ? 私の気持ちの中で、変化が生じる。あんなに素敵に思ったサン・ジェルマン・デ・プレが、今日は色褪せて見える。
そして、ようやく私は自分の気持ちに気づくのだった。自分はリヤードを愛している、いや、すでに愛していたから一昨日彼と愛し合った。私がパリに来たとき、いつも彼がいた。どこかに出かけても、帰りにレストランに寄って微笑みを交わすことができたから、このサン・ジェルマン・デ・プレが楽しかったのだ。
前回の旅行で初めて左岸にアパートメントホテルを借り、その日に彼と出会った。心の触れ合いが嬉しくて、また帰って来たのだ。彼がいないサン・ジェルマン・デ・プレなんて、サン・ジェルマン・デ・プレでも何でもなかった。彼と過ごした夜が漣のように脳裏に押し寄せる。自分の愛がそこにあったことが今、わかった。あまりにも遅すぎる気づきだった。