Ⅳ 濡れる石畳

なにか夕食をとらなければ。以前から食べたいと思っていたSUSHI店が、彼の店の並びに二軒ある。値段も決して高くはない。私は空いているほうの店に入る。なぜ空いているほうの店を選ぶかといったら、言葉が通じないので混んでいる店は嫌がられるからだ。無視されることもある。前回、偶然リヤードが私を店に招き入れたのは奇跡に近いことを改めて感じた。

案の定、日本人の私が入っていっても、やはり感じは良くない店だった。当たり前だ。悲しみを連れた女のひとり客なんてありがたいはずがない。スタッフは主にチャイニーズかと思われた。私はカリフォルニアロールセット、いわゆるMAKIを注文した。おもしろいことに、サン・ジェルマン・デ・プレではおすしに味噌スープがついて、漬物は生姜(ガリ)ではなく、知らない野菜のピクルスもしくはマリネのようなお酢漬けの細切りだった。

これは違うなあ。しかもMAKIはあるのにNIGIRIはないぞ。NIGIRIはSUSHIで統一されて普及していない言葉なのか。ちょっとスタッフの中国人に言ってみたが、反応はなかった。思ったより、おいしく食べられたが、それと同時に、彼の店でゴハンを食べさせてもらう楽しさは、また格別だということもわかってしまい、おいしい初めてのSUSHI経験は私に落胆をも感じさせてしまった。それと同時に、彼の店へもう一度顔を出そうかというプラス思考が脳裏を過るものの、その勇気を一ミリ(アンミリ)も出せない自分がいた。

ホテルに帰ると、フロントには昨夜の銀髪のおじちゃまスタッフがいた。彼は私に話しかける。どうやら暇らしい。

「今夜は僕と一緒にベッドに入ろう。僕たちは幸せになれるよ」

両手の人さし指を並べ、鼻濁音を発してフーンと言っている。昨日私がリヤードと部屋に入ったのを知っているのに言っているの? 知っているから言っているのか。ほうほうの体でそこを逃げ出し、私は自分の部屋で深夜を待つ。彼が仕事を終えて部屋に来てくれるかなと思っているのだ。お気に入りの皺にならないワンピースを着て、ベッドに横になってうとうとしながら彼を待つも、彼はとうとう来なかった。

夜中に幾度か目を覚まし、時計を見てはまた眠るという長い一夜を過ごした。明日は午前十時にチェックアウトをしなければならない。どうして彼は連絡をくれなかったのか、私がきちんと待っていると告げなかったのがいけなかったのか。明日電話するよ、と言ってくれたのに。思いの外、外国人とコミュニケーションをとる難しさを感じながら、私は昨日のうちに彼の連絡先を聞いておかなかったことを後悔するばかりだった。やるせなさでいっぱいだったが、それでも自分が一夜のアバンチュールの相手をさせられたとは、不思議と思わなかった。その悲しみや後悔は微塵もなかった。