私の目的別読書法
「私の」という前提が付きますが、本項では、本の読み方について考えます。
本書の「はじめに」で、「”読む”という単純な行為ではあるものの、そのなかにはさまざまなハウツーやノウハウが存在し、読書にも作法やルールがあって驚きました」というような批判を行い、「自由に読ませろ」的な発言をしたと思います。
それにもかかわらず自分の読み方を紹介しようとして、「なんて不届きな!」と思うでしょう。でも仕方がありません。私の「なぜ本を読むのか?」という課題に取り組むためには、自分の読み方を把握しなければ、何も答えを導けません。ここは、矛盾は矛盾としてご理解いただき、目をつぶっていただければありがたいと思います。
皆さんにもそれぞれ読み方があると思います。すべての本を同じように読むわけではなく、ジャンルや難易度、あるいはボリュームや気分によっても変えているのではないでしょうか。
私にとっての本の読み方は―“読書の狙い”と言い換えてもいいかもしれませんが―、大きく分けて五つあります。ただ、私の場合、これらすべてに共通する意識として、「書くために読んでいる」という前提があります。書くことを想定して読んでいると、より深く、より楽しく(ときに、苦しく)、活かせる形として読むことができます。逆に言うと、書くという目的があるから読んでいるという側面もあります。
娯楽としての読み方
単純に娯楽として楽しむ読書です。純文学、大衆文学、長編、短編にかかわらず、いわゆる小説のような文芸書、あるいはエッセイや漫画を読むときの多くは、この読み方になります。理屈抜きに楽しめればそれでいいので、付箋を貼ることや、メモを取ることや、書き込むことも割合少ないです。
ちなみに、私の好きなジャンルは、ミステリーとホラーと、それから何というか、それらと対照的かもしれませんが、美しくも切ない素敵な本です―漠然としていますね。
ストーリー展開とキャラクター設定、情景描写や伏線の張り方の妙と結末の圧巻さが、小説の醍醐味でしょうけれども、私にとっては会話文の繊細さも小説の良し悪しに影響します。魅惑的なワンフレーズのちりばめられた文章に憧れます。その手の本としてたとえば、定番かもしれませんが、小川洋子さんの『博士の愛した数式』や、川上弘美さんの『センセイの鞄』や、雫井脩介さんの『クローズド・ノート』や、宮本輝さんの『ドナウの旅人』なんかがあります。
最近は、唯川恵さんの山登り目覚めエッセイ『バッグをザックに持ち替えて』が良かったですね。
常に付箋や赤ペンを握る必要はないので、風呂場やベッドや旅先や、ときに公園や野山に持ち込められれば最高でしょう。面白さが判断基準ですので、ただ楽しく、気ままに、余計な目的を持たずに読める幸せな読書法です。