Ⅲ 小さな薔薇
興奮している彼をなだめようと、私は互いの身体の隙間を作り彼の胸をぽんぽんとたたいて言った。
「あなたは正しいわ」
彼は「you? me?」と私の言葉の主語を確認する。もしかしたら、さっきの「I love you」「You don't love me」は、僕は君を愛している。その君はあなたを愛してないのよ。そんな意味にとられたのかしら。英会話の経験も少ないから、それはあくまでも私の想像だが、彼が主語を確認したのは事実だった。
だから、「you」と再び彼の胸をたたくと、彼は少し落ち着いたのか、ため息をつきながら私の背中に回していた腕をほどいた。
そうして、私たちはまた歩き出した。どこへ何をというわけでなく、ただ黙って歩き出した。間もなく覚悟ができた私は、歩きながら未熟な英語でまっすぐ前方を見ながら彼に告げる。
「I will go back to my hotel with you.」
あなたと一緒にホテルに帰るわ。私はホテルをちゃんとオテルと発音した。フランス語ではHの発音はしないのだ。それを聞いた彼はとても切ない声で、私の言葉を繰り返した。
「おお、そんなこと言わないで。オテルに帰るなんて。You don't say『I will go back to my hotel with you』……?」
とそこで気づいたようだ。
「With you? With me? me?」
と歩きながら私に問いかける。わかんねえやつだな。私は立ち止まって彼の顔を見ながら、もう一度、
「I will go back to my hotel with you.」
あなたと一緒にホテルに帰るのよ。とはっきり告げると、それでも「With me?」と確認するので、今度はしっかりと彼の顔を見ながらフレンチ風に手のひらを向けて「With you.」と答えた。何回言わせるのよ。
そのときの彼の喜びようといったら、まるで子供のようだった。並んで歩く私の肩に手を回して、ぎゅっと自分の隣に引き寄せながらフランス語だか英語だかわからないほどの早口で「☆〇△☆〇!!!」と発し、飛び上がらんばかりだった。
つぶれるのではないかと思うくらい強く私を抱き寄せて何か叫んでいる彼の隣で、私はひたすら下を向いていた。歩きながらのことなので、ホテルは近づいている。彼はしっかり私を抱えて離さない。