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サン・ジェルマン・デ・プレ秋灯

少しの沈黙のあと、彼が遠慮がちに私に聞いた。

「きみは、子供がいるの?」

お、なかなか勘のいい人だな。さっきの手帳の文字が気になっているのね。私はひるむことなくそうだと答えた。

(ギャ)()(ソン)?」と彼がフランス語で聞く。とっさに出るのはやはりフランス語だ。私もギャルソンくらいの単語はわかる。男の子、英語で言えばBoyだ。

「ううん、(ギャ)()(ソン)じゃないの、(フィ)()()よ」

「女の子だね、何人?」

「一人よ」

幼い女の子を想像しただろうか。たぶん彼は私を若い女性と勘違いしているだろう。

遠くにイルミネーションが見える。輝きが連なってどこかのお城のようにも見える。何か夢の空間に思えて、私はふわりとその明かりに酔いしれていた。

一生に一度かもしれない、こんな夜は。いつパリに来られるかわからないから、この瞬間を記憶にとどめておこうと、ただイルミネーションを見つめていた。すると彼がそれをすぐ気に留めて「疲れた?」と聞く。

気遣いがあるのかフランス文化なのかよくわからない。とにかく理解しきれないことばかりだが、甘美で虹色のゼリーの中に埋まっているみたいだ。

私は「ううん。ただ今朝が早かったから」とだけ答えた。

「あなたは? 疲れている?」

「疲れているけれど、疲れていない。半分半分」

手のひらを上にしたり下に伏せたりしてジェスチャーで私に伝えてくれる。彼の言わんとしていることがよくわかったので、黙って頷いた。彼が煙草に火をつけているのを見つめる。すると彼が「君、煙草は?」と聞く。どうやら私に勧めてくれるらしい。

「いつもは吸わないけれど、煙草を吸うことはできるわ」

と笑って言うと、彼も微笑んで、一本差し出してくれた。彼は自分の胸の前でライターに火をともす。私は彼の胸元で火をもらう。私の頬が彼の頬のすぐそばに寄る。私たちはいつの間にか心の距離も近くなっていた。煙草に火がついて、私が白い息を吐き出すのを彼はじっと見ている。私は軽く息を吐いて、上手に煙草をたしなむ振りをした。

サン・ジェルマン・デ・プレの秋の灯が、私たちを包んですべてを甘くしてくれた。