規制される代償 捉え方・意味付けを理解し、腑に落とす

学生時代は、試験勉強のために教科書や学習参考書を記憶してきました。

社会人になってからも、キャリアを積むために、専門書やテキスト、文献などを読んできました。多くの人においても、たとえば会社勤めなんかをしていれば、企画書や報告書、資料やメールを読んでいることと思います。

打ち合わせや商談、プレゼンやセミナーなど、そこでは何らかの規定が設けられ、それによって行動し、会社、ひいては社会への貢献を果たしています。

私は長きにわたって大学に勤めていたので、余計にそう思うのかもしれませんが、人間というのは元来、不自由を求めています。

規制され、指導され、管理され、たとえ身動きが多少窮屈になったとしても、道がしるされていた方が楽なのです。だから仕事においても家庭においても、何らかの不自由さや、なんとなくの不文律ふぶんりつを求めるようになり、それを手に入れることで安心するのです。

ビジネス書やノウハウ本、ハウツー本の類いが売れるのは、規定されたなかでの対価を多くの人が求めているからです。「オレは、これだけの制約のなかでも結果を出せるんだ」ということです。

本の制作では、対象とする読者を想定している場合が多いと思います。私のこの本においては、読書嫌いの、しかも若者向けに書いています。

であるからして、読書家の、しかも中高齢者が読んだ場合には、だいぶつまらないか、あるいは批判が多いのではないかと推察します。当たり前ですが、同じ本を読んでも感想は人それぞれです。

つまり、人間は捉え方のなかで生きているということに気が付きます。

お金を稼ぐための本は、いまお金が足りないと思っている人が読んでいます。ダイエット本は痩せたい人のために書かれています。成功して幸福になりたい人向けの本なんてものは、ちまたに大量に溢れています。

モテたい欲求は多くの人にあります。ですが、お金より充実感を優先したい人もいれば、太っていても食べる満足に浸っている人もいます。成功しなくても楽しければいいという人も大勢います。

モテ過ぎて逆に面倒という羨ましい人だっています。それは、すべて本人の捉え方次第です。人々に存在する価値観というのは、すべて捉え方次第と言っていいと思います。"意味付け"と言い換えてもいいかもしれません。

本というのは、「お金の可能性はこういうところにありますよ」とか、「痩せた体のメリットはこうですよ」とか、「成功と幸せとの関係はこうですが、人によって違いますよ」とか、「女性が好きなオトコの仕草ランキングはこんな順番ですよ」という意味付けをしているに過ぎません。

よく言う喩えとして、半分の水の入ったコップを多いと思うか、少ないと思うかの違いです。

そう考えると、本の活かし方は、与えられた物事の意味付けをどう捉えていくかにかかっています。その意味付けに対してに落ちなければ、また新たな本を手にすることになります。

そうしてたくさんの意味付けが語られ続けているのです。