初めての語らい
パリのカフェはテラス席の椅子が向かい合わせではなく、外に向かって同じ方向に置かれている。なんでも日照時間が少ないので、なるべく太陽を浴びようとの意識から生まれた文化だと何かの本で読んだことがある。
私たちは一番前の席に並んで座り、その前には小さな丸いテーブルが置かれている。テラス席にはどこもたいてい赤い布製の庇が下りて、そこに電気ストーブみたいなものが取り付けてある。
「上から暖かいのが降りてくるよ。だから寒くないよ」と彼が教えてくれた。
「何を飲む?」
「何でも。同じものがいいわ」
片言の英語で答える。彼は赤ワインを二つ注文し、私たちは秋の夜長の初めての語らいを得たのだった。
「あ、名前を書こう」
と彼が言ってくれたので、私はバッグの中から手帳を取り出す。ぱらぱらとめくると娘が小学生の頃に覚えたての平仮名で書いた短歌があった。目ざとく見つけた彼は、はっと顔色を変えた。子供の字だとわかったようだった。
「どこに書いたらいい?」
「どのページでも」と空白のページを開くと彼は自分の名前を綴ってくれた。ZAFAL RIYAADEという名前だった。
それから、ゆっくりと私たちはお互いのことを話し始めた。例えば彼が私に聞いたことは、日本からフランスまでどれくらい時間がかかるか、とか今朝は何時に着いたのかとかだった。
「私はね、日本で学校が終わったあとのスクールで、私立中学や高校に進学するための子供たちを教えているの」
「君は先生なんだね。何を教えているの?」
「国語と社会科よ。私はね、俳句を作る活動もしているの。世界共通語だけれど、ハイクを知っている?」
「知らない」
間髪入れずに否定的な答えが返ってくる。私はスマホで自分の画像を見せながら説明したが、ふうん……と彼はよく事情が呑み込めないようだった。
「君はトキオに住んでいるの?」
「そうよ、トキオよ。でもセンターじゃないわ」
「うん」
わかってくれたようだった。
「君はパリが好き?」
おもしろいことを聞くな。パリが嫌いな人もいるのか。
「うん、好きよ」とさりげなく答えた。
「僕はパリに住んでいるのではないんだ。ランスというところ」
「パリじゃないの? ランス……」
どこかで聞いた地名だった。きっと世界史の参考書か何かの雑誌だろう。でなければ私の記憶に残っているはずはなかった。
「ランスってここから遠い?」
「うん、ちょっと遠い」
「帰りはどうやって帰るの? 行きはどうやって来るの?」
「タクシーとか。行きはメトロや電車を乗り継いで」
そんな内容だった。なぜ、ランスに住んでいるのかまでは聞くのはためらわれた。それ以前に私の言語能力の問題だった。
それから、おもむろに彼はゆっくりと低い声で、しかも少し言いにくそうに私にこう告げた。
「僕はフランス人だが、生まれも育ちもエジプトなんだ」
「エジプト?」
私は驚きのあまり固まってしまった。私の顔は前方の景色を見たままで、目だけが彼の方に動いた。
彼が「きみはエジプトを知っている?」と聞くので「もちろんよ」と私は顔を上げて彼の顔を見た。
「エジプトで生まれて育ったの?」
「そうだ」
「家族は? エジプトにいるの?」
「そう。僕には五人の姉さんがいるよ。五人だよ!」と声を上げて笑っている。
きっと仲がいいぶん、さぞかしましいに違いない。
「じゃあ、あなたは一人息子なのね」
彼は私の一人息子という表現がおかしかったらしく、頷きながらずっと笑っていた。
それから彼は隔年に一度二週間くらいエジプトに帰ること、私の絵葉書は自分の留守中に届いていたこと、そして四日前にその葉書を読んだことを私に説明した。