五月
話というのは、簡単に言うと俺には「呪い」がかけられている、というものだった。
「うーん、信じられない。それに俺今なんともないよ。一体どんな呪いだ?」
相手の方が年下っぽいし敬語はやめた。いきなり暴力を振るわれることもなさそうだし。
「誰かにかけられた呪いだな。今は何ともなくても、そのうち心身を蝕むようになるぞ」
「具体的にどんな症状になるんだ?」
「それもまだ分からない」
「じゃあ、ちょっと質問変えるよ。その呪いにはいつ頃かかったか分かるか?」
「まだ何も症状がないところをみると、割と最近だろう。特定はできないが、数ヶ月から一年以内じゃないかと思う」
作り事にしてはポンポンと答えが返ってくるので、だんだん面白くなってきた。
「なあ、呪いの話が本当だとして、なんでまったくの他人の俺に、そんなことを教えてくれるんだ?」
「あんたを助けたいからだ」
「なぜだ?」
「俺が助けられると思ったからだ」
下心なく他人を助けたい人間がいるもんか。そう思うのは、俺がひねくれているからだろうか。彼はかまわず続ける。
「あんたの呪いを解くには、まず呪いの正体を突き止めなくてはならない。正体が分からないと、解く方法も分からない。どこかで呪いをもらった覚えはないか。あるいは誰かに強い恨みを抱かれたとか」
俺はここ一年を思い返してみた。恨みとまではいかなくても、妬まれることはあるだろう。象徴的なのがやはり就活だ。俺より早くから、俺よりも力を入れてやったのに、決まらなかったやつもいる。それにしても、自分だけが特別恨まれる理由になるとは思えない。あと可能性としては俺の会社自体に恨みを持つ人たちとか。それはいるかも知れない。いるかも知れないが、だとしてもペーペーの俺がターゲットになるとも思えない。
考えた通りに彼に伝えた。
「人ではないかも知れないな。人外の類にたまたま遭遇して呪いをかけられたのかも知れない」
「ジンガイ?」
「人間ではない、あんたたちにとっては超自然的な存在のことだ」
なかなか難しい漢字を知っているな。少し感心した。でもそんなのますます身に覚えがない。そう言おうとして、ふと蘇ったのは、去年、出雲大社で蛇と目があった時に感じた恐怖。
「それが関連していそうだな。蛇は出雲大社の御祭神の使いで、しかも霊力を持ちやすい生物だ。まして大社に住んでいる蛇ならば出雲族の神々と縁が深いのかも知れない」
出雲族。そう言えば、一緒に行った友人がそんなこと言っていたような……。
「力を持った神の眷属が、人前に姿を現す時は吉事か凶事をもたらすことがある。今回は後者だろう」
「でもよりによって、なぜ俺が?」
どうやらいくつかの条件が重なったようだ。その時精神的に弱っていたこと、神社で不適切な態度を取ったこと、俺が蛇に恐怖を抱いたからつけ込まれたこと……。
「蛇は生命力の象徴だ。心が弱っている人間はやられやすい。加えて、彼らのテリトリーで不遜な振る舞いをした様子を目撃されていた」
運が悪いなと思う一方、仕方ないとも思えた。これまで自分も家族も大きな災難に遭うことなく過ごしてこれた。ここ数年の間でも、世界的な金融危機や大震災といった不幸に巻き込まれた人がたくさんいるはずなのに、俺は直接的な被害は一切受けずにここまで二十三年生きてこられた。時々思う。もしかしたら、誰かが自分の代わりに不幸を引き受けてくれたから、自分が安定した生活を送れているんじゃないかと。そのことに感謝こそすれ、「ついてない」などと神社で言えば罰があたってもおかしくはないのかも。