切り落とされた髪、幸姫の決意
戸を少し開け、
「風神丸や……こちらにおいで!」
と呼びかけると、暗闇の中より風神丸が部屋へ駆け込んで来た。幸姫は包みを首輪にしっかりと結わえ付けると、風神丸の額を優しく撫でた。
「風神丸や……急いでこれを兄上様に届けておくれ。とても大事な品です。頼みましたよ」
風神丸は幸姫に強く身体をこすり付け、その仕草は幸姫との別れを悟ったかの様だった。そして、幸姫の手をそっと舐めると、ダッと部屋を出て暗闇の中へ消えて行った。
まだ夜が明けきらぬ時刻、保繁の館で出陣の衣装に整えた保些は、侍女を伴った幸姫を見て驚きの表情を浮かべた。いつも髪を結いあげている幸姫が、今日は髪を長く下し、髪の毛の一部分が切り落とされていたのだ。
「さ、幸姫? その髪はどうしたのだ」
幸姫は紙包みをそっと保些に渡した。開くとそこには髪の束が包まれていた。
「こ、これは……」
「里では、新妻が夫の無事を願う為に夫に渡すお守りで御座います」
本当はその様なものなどないが、幸姫は強い眼差しを向けた。
「かたじけない。この戦は欲に目が眩んだ愚かなおやじ殿が起こす戦。私は絶対に剣を抜かぬ。それにそなたの里には一歩たりとも足を踏み入れたりしない」
幸姫は寂しそうに微笑んだ。
「貴方様がご無事で戻られますことが、私の心の救いとなります」
「幸姫……」
保些は包みを懐に入れ、部屋から出て行った。朝日が昇ると同時に、保繁は大勢の軍勢を引き連れて出陣した。
侍女と数人の家臣達は、花の庭で手を合わせている幸姫の姿を見て、すすり泣いていた。
「泣いてはなりませぬ。強いクニが弱いクニや里を滅ぼすのはとても悲しい事ですが、この乱世ではしかたのないことです」
そう幸姫が言うと、侍女と家臣達は姫を囲んで大声で泣き出した。
「幸姫様……」
「おいたわしや……」
家臣達は保繁の余りの仕打ちに、唇をぎゅっと噛みしめた。