試運転には1ヵ月ぐらいかかりますので、私も工場の独身寮に泊まりこんで参加しました。試運転は本来、詳細設計グループの担当ですので、詳細設計グループからも3人のエンジニアが参加していました。

しかし、先ほど述べましたように、基本設計グループと詳細設計グループはもともと反目していましたので、詳細設計グループの人たちはことあるごとに、オブザーバーの私の意見や進め方に反対するといった状態で、私も非常にやりにくさを感じながら試運転に臨んでいました。

その晶析装置は、直径5m、高さ20m以上という大きなものでしたので、実際に液を張りこんで冷却を開始しても、そんなに速く内部の液の温度が下がるというものではありません。所定の温度まで冷却するのに4日が必要でした。

さて、装置の冷却を開始して5日目、すなわち、初めて結晶が析出する温度まで冷却された日のことです。

初めて結晶が析出するということで、私はその日、朝早く現場に出勤しました。すると、私と親しかった製造部隊の運転班長が「永嶋。悪い知らせだ。ちょっと来てくれ」と言って、私をその晶析装置のところに連れて行きました。そして、装置の底のバルブを開いて、内部の液を容器に流し出してくれたのです。本来、内部の液の結晶は真っ白をしています。すなわち、底のバルブからは、透明な液と、微細で真っ白な結晶が出てくるはずでした。

ところが、底のバルブから出てきた液は、透明な液と赤茶色をした結晶だったのです。結晶の赤茶色が鉄錆びであることはすぐにわかりました。その量は半端ではなく、肝心の真っ白な結晶はまったく見当たりませんでした。

晶析装置の材質が炭素鋼でしたので、充分に錆び落としをしたつもりでしたがまだ不十分で、装置のなかに残っていた鉄錆びが結晶と一緒に析出したのでした。鉄錆びを含んだ結晶では、とても製品にはなりません。

この事態はまったく誰も予想していませんでした。明らかに緊急事態で、すぐに対処しなければなりません。試運転は時間との闘いです。

試運転を完了した直後から、実際に製品を出す商業運転が待っています。商業運転開始の日時はすでに決められていて、製品を出荷するお客さんもすでに決まっています。すなわち、商業運転の開始を遅らせることがあったならば、会社に何十億円という損失を発生させることになるのです。

その時点で、商業運転の開始日は、もう来週に迫っていました。しかし、そのような緊急事態ですが、予想外の状況に私の頭は混乱し、対策がすぐに思いつきませんでした。