私「いやー、お恥ずかしいですが、もう少しでわかりかけたんだけど……。話が難しくなって、またわからなくなりました。たしかに懐かしい香りです。この香りが、んー、残念だけど、わかりません!」
青鬼「もうじき極楽駅に着くので『あ! そうだ!』とわかると思うから、先に答えを教えよう。それはな、蓮の花の匂いだよ」
私「あ! そうだ、そうだ! 思い出しました! 蓮の花の匂いだ! 私は随分以前、朝早く、上野の不忍池に蓮の花を見に行ったんです。ああ、あの香りだ。懐かしい」
青鬼「やっぱり、お前、歳だな。大分、鼻より記憶力が悪いようだ」
私「いやぁ、懐かしい香りだ。やはり仏様に蓮は付き物な気がする」
蓮の花の香りが電車いっぱいにただよって参りました。まるで優しさに包まれるような、そんな気がしました。青鬼さんはスッと立ち上がると、出口へ向かいました。
青鬼「極楽駅前! 極楽駅前! 皆さま、大変お待たせいたしました。ここが皆さまの目的地、極楽浄土の世界です。どうぞ、ごゆっくりお降り下さい」
青鬼さんが呼びかける声も、態度も、これまでの停車駅とはすっかり変わり、穏やかです。すると見るからに優しそうな乗客達が、列車の一番前の特別室からゆっくりと立ち上がり、お互いに手を振って、ニコニコしながら出口へと参ります。私もこの人々の姿を、感謝で見送りました。
下車すると、彼等を待っていた天女達が、丁寧に頭を下げます。天上からの迎えとしてやって来た五色の雲の上に、皆さんはゆっくりと、ニコニコしながら乗りこみます。静かなメロディーで、妙なる音楽も聞こえてきます。私はうっとりと、その様子を見守りました。
するとどうでしょう、いつの間にか青鬼さんも、その雲に乗って、私にニコニコと手を振っています。何故か胸がいっぱいになって、私も青鬼さんに大きく手を振り返しました。ありがとうございました‼ 涙もこぼれました。もうあの青鬼さんともここでお別れなのだと、何となくわかったのです……。そして次第に暗闇に包まれました。
しばらくして、ふと私は目を開けました。そこは病院のベッドの上でした。看護師さんが何か言いながら、安心したのか、私の顔を覗き込んで微笑みました。あの極楽駅で見た、天女のように見えました。