第一章 宇宙開闢の歌
「ではハマーシュタインプロデューサー。あなたとそこにおられる日本人、涯鷗州監督とはどの様なきっかけで出会われたのですか。また、涯監督のこの映画のどこに魅力を感じられて製作を買って出られたのですか」
「その質問については、涯監督自身に語ってもらおう。監督が自身の撮る映画やそれにまつわる話をすることは、聞きたくてもなかなか聞けるものではないからね」
ハマーシュタインは右手を額に当て、二、三度首を振って瞑目した。そのポーズは果たして言って良かったのかと自問する、一ユダヤ教徒の無垢の姿と見て取れないこともなかった。笹野の目は涯鷗州へと注がれた。涯は日本人の質問に日本語で答え始めた。
「今、ハマーシュタイン氏が言われたことはユダヤ教徒として如何な、勇気のあることでした。またハービク所長も一人のインド人としての我々日本人に対する思い、まことに心身に染み渡るものがありました。さて、まず私とハマーシュタイン氏との出会いですが、私が映画に絶望して日本を離れた十三年前のことからお話しいたしましょう」
涯はコップの水を一口飲んで、間を置いた。
「私は、日本で映画監督になりたてのころ、日本映画の諸先輩の足跡を肌で感じては現在の自分のあまりのひ弱さ、貧弱さに絶望に近い気持ちを抱くようになりました。あの日本映画の栄光をもう一度と自分を叱咤しても、どうしても目覚めてくれない自己の深奥の、怠惰で卑劣な存在がどうあっても許せなかった。
また一般大衆も映画に対しては娯楽、興業以上のものを期待しようとはせず、全体的に冷ややかでした。映画の本質がわからなくなり思い余ってすべてを投げ出し、日本を去ったわけです」
笹野はメモを取る手を止めて涯を見やった。内山もこの異郷で大事業をなそうとしている一日本人のたたずまいに、しばし同胞としての感情も忘れて一挙手ごとの動きに神経を払った。
涯の話は日本語から、英語、ベンガル語と目まぐるしく変化していった。時には笹野の理解を超える東南アジア系の言葉や、ロシア語、スペイン語が混じることもあった。
「いったいこの日本人は、それから世界でどのように揉まれていったのであろうか……」
笹野はメモを取る手が止まりそうになる瞬間をかろうじて抑えながら、額ににじむ汗をぬぐおうともせず、記録していった。二十五歳で日本を出奔して以来、涯は世界を遍歴して回った。
時には地下組織に接触しそうになって命の危険を感じた南米での時期。中東に足を踏み入れアラブ原理主義者との交友から、イスラエルのモサド(対外諜報機関)に要注意人物と断定された時期。東南アジアで大東亜戦役の戦跡を巡り歩いた時期。