政裕にとっては語学に自信がなかったのでエッセイが書けるかどうかが不安だった。
"プロフェッショナル倫理"がなぜ試験科目に加えられているのか、奇異に感じた。しかしカナダではエンジニアリングに限らず司法、財務、医師にも厳格な倫理規定があり不正があれば倫理委員会の審査で懲罰が課せられる。最悪の場合は免許はく奪になる。
日本で起こった大会社の粉飾決算疑惑や建築設計事務所の設計偽造事件で関与した公認会計士や建築士などはもしカナダで起きた事件ならばそれぞれの協会で審議され永久に資格を失うことがあり得る。
税務署役人の立ち入り監査の際、コーヒー一杯のサービスも許されないし、要求もされない。それだけ厳格な倫理規定が制定されている。
トロント大学でこの試験のための夜間講座があることを教えられ二科目の講義を受ける資格が与えられた。週三日会社の帰りにダウンタウンの大学に三か月ほど通うことになった。
その日には晴子が弁当二食を持たせてくれた。帰宅後毎日夜遅くまで試験勉強で明け暮れた。
ある日、会社で勤務中突然血便が出た。近くの病院で診察を受け、急性胃潰瘍と診断された。住まいの近くの総合病院に入院することになった。
体が衰弱していたので二か月ほどの入院療養が必要といわれていたが、ミプラコから急ぎの仕事が来て製品デザインと見積書も書いていた。参考書を持ち込んで受験勉強も続けた。
最初の一科目の試験当日、政裕はリンゲルに繋がれていたが医者に事情を説明し外出許可を得ることができた。晴子がタクシーで迎えに来て試験場のトロント大学に向かうことができた。
そのあとの三科目の試験も同じ要領で何とか全科目受けることができ結果発表を待つばかりになった。
結果が郵便で送られてきた。すべての科目で合格点を超えていた。必死の試験勉強の結果が出たと思った。社長に報告すると喜んでくれて、約束通りチーフエンジニアとして働くことになった。一九七八年六月のことだった。
プロフェッショナルエンジニアの資格がどれほどの価値があるものか、その時はまだ政裕にはよくわかっていなかった。なってからどんな経験を積んでいくかがその資格の価値を決めると思った。
プロフェッショナルエンジニアは合格後、授章のセレモニーに出席し、鉄の鎖を出席者が持ちあげて、倫理規定を順守する宣誓をさせられる。
そのあと、鉄の指輪とスタンプを授与される。スタンプは仕様書と図面の承認印として扱われ、公式文書となる。
以後、政裕の右小指には引退した今でも特異な形状の鉄の指輪がはめられたままだ。これだけでプロフェッショナルエンジニアであることが見分けられる。
鉄の指輪の謂れは一世紀前にさかのぼる。ケベックを流れるセントローレンス川に新しく架けられた鉄橋が強風に煽られて川に転落し、多くの犠牲者が出た事件があった。
これが当時、刑事事件に発展し裁判になったが、原因は設計ミスだったことが証明された。この事件が発端になってカナダ全国の工学部教授たちがあいまいな技術者の存在を規制する倫理規定を制定し、技術者の質を維持するための試験制度を立ち上げたのだった。
これがプロフェッショナルエンジニア試験制度の起源である。政裕はエンジニアの仕事に対する責任の重さを知らされたのだった。