医者を探すこと
妻、晴子は日本に住んでいた間、高血圧に悩んでいて、かかりつけの医者にかなり危険な状態だと言われていた。
彼女にとって、トロントに来て最初にしなければいけなかったのは医者を探すことだった。
幸い近くに医療センターがあることがわかり、そこの医師に診察してもらい薬が処方された。
オンタリオ州の医療制度OHIPが資格申請して受理され次第移住者にも直ちに適用され無料で治療が受けられる。
処方薬は有料で医者からではなく薬局で買うのだった。
血圧が下がったのには驚いた。
理由はよくわからないが、これだけでも晴子にとってカナダに来た甲斐があったというものだった。
その医師、イン先生がファミリードクターになってくれて以後家族みんなの健康管理の面倒を見てもらえることになった。
カナダにはファミリードクターの制度があることを知った。
八月のある日、引っ越し荷物がやっとトロントの港税関の保税倉庫に入れられたという通知を受け取った。
船は太平洋を横断、パナマ運河を経て大西洋を北上、カナダ北端からセントローレンス川を遡上、オンタリオ湖に出てトロントに至る二か月の長旅だった。
バンクーバーで陸揚げし鉄道で輸送したほうが時間とコストが節約になったのではないか。
数日後、大型の木箱数個と枠組みに入ったピアノも到着したが運送業者の乱暴な扱いでトラックの荷台から地面に転落したが損傷がどれほどのものか。
近くに住んでいた日系二世の家族の娘さんが習っていたピアノ教師を紹介してもらい朗子もレッスンを再開した。
英会話教室と職探し
移住者がどんなバックグラウンドを持っているのか見ただけではわからないが、移住者向けの英語教室に通い始めて出会ったインドからの移住者はみんな高い教育を受けた人が多く、皆プライドが高い。
訛りはひどいが英語は流暢で政府の職員などに採用されやすい。
トロントは世界のあらゆる国からの移住を受け入れている人種の坩堝といわれる所以で、英語圏以外の国からの移住者のための英語教室だった。
初心者向けだったので政裕夫婦は数週間通ってやめてしまった。
カナダで生活する限り会話ばかりでなく新聞や文書を完全に理解するためには常に辞書を手元に置いて語彙のレパートリーを増やす努力が必要だと痛感した。
難しいのは政裕の仕事探しだった。
しばらくして同じアパートにアジア人夫婦が住んでいることがわかり、晴子がその部屋を訪れてドアをノックしたら、〝お入りなさい〟と夫人のきれいな日本語が返ってきたと言った。
夫人は晴子が窓ガラスを拭いていたのを見てそんなことをするのは日本人だと気が付いていたらしい。
そして、戦後初めて日本語を話せたといったそうだ。
韓国人リー夫妻で、夫人は日本の統治時代に名門の梨花大学で日本語を勉強したらしい。
旦那は韓国の軍人で米国の陸軍大学に留学、卒業後、帰国する代わりにカナダに住み着いたという。
韓国に帰っていれば将来将軍になっただろうと言っていた。
話がかなり大きい。
それ以来親密な付き合いが続いた。
彼らの娘二人のうち一人はトロント大学で博士課程在学中、長男を韓国から近く呼び寄せ、トロント大学の編入試験を受けることになっているという。
インテリ韓国人一家だった。