もっと長期にわたり子どもとかかわりたいと保育園経営に

私は児童相談所では中堅の職員として仕事をしていたのですが、大学で学んだケースワークとはだいぶ異なっている現実に、行き詰まってきていました。そんなとき、私を児童相談所に入れることに大きな役割を果たしてくださった林先生の大阪市退職が予定され、公務員の宿命でほかの部署への配置換えを覚悟しなければならない時期も近づいていました。

「もっと長期にわたって子どもとかかわれるとともに、地域社会の発展に寄与できる仕事をしたい―」

と、保育園経営を漠然と考えるようになっていました。

ちょうどその頃、知人の紹介で二つの民間保育園を見学させてもらい、保育園は私がやるべきだと強く思うに至ったのでした。

林先生は、大阪市を退職される数年前からはときどき本庁(民生局)からのプレッシャーを感じさせられることがあるとことばの端々に出されることがあり、大阪市退職が近いことを感じたものです。

林所長が退職されたあとには、事務職の人が後任の所長になられるだろうと予想され、私自身の大阪市退職が早くなったように思います。林先生は大阪市退職後、京都の私立大学の教授に転出され、その後、有志の者約一五名で自然発生的に先生を囲む会ができました。

一年に一、二回会食し雑談する会で、私にもお誘いがあったのでした。大阪市を退職して大学職員になる人が数人と、福祉事務所や保健所の管理職や家庭養護促進協会の主要スタッフになった人や病院のケースワーカーなど、いずれも福祉関係の職場に転出した者が集まって会食し、雑談の時間を持ちました。

研究会や情報交換会というような堅いものではなく、もっとざっくばらんな自由な雰囲気のもので、旧交をあたためるとともにいろいろな刺激を受けたものです。その集まりは二〇年近く続きました。