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ALS
「ワ抜けコンビ」の看護学生から漏れてくる会話を聞いていると、Nさんの食事は、彼女が希望しているのか麺類が毎日一食は入っているようだった。ちなみに「ワ抜け」とは、看護師の苗字である渡辺と田辺の二人のコンビということから付いたあだ名だ。ワタナベのワを抜くとタナベになる。授業が空いている時間だけ病院勤務をしているらしい。
Nさんも、私達と同じ六十歳後半から七十歳ぐらいの年齢だろう。カーテンで仕切られたNさんのベッドに入る前の、夫とすれ違ったことがあった。その時は気付かなかったが、決まってショートケーキをぶら下げていると聞いた。
何時だったか副担当のアケミさんが丁度出くわし、カーテンの向こうで大きな声で「おいしそう」と言って茶化していたことがあった。但し、私はこの時も含めて、Nさんの姿を一度も見たことがない。いつもベッドのカーテンをぴっちりと閉め切っていて、起きていると思われるときは、箸の音と看護師どうしの会話が漏れ聞こえてくるだけだった。
時々イヤホンを耳に突っ込んで、テレビ番組を聞いているらしく、チャンネルも自分の手でリモコン操作できるようだった。コミュニケーションは、頷いて意思表示をしているのか、声を聞いたこともなかった。
Nさんと京子のベッドは、対角線上の向かいのコーナーにあり、Nさんは京子から一番離れていた。
「お父さん、近頃、体調が悪くて、一週間に一回しか来なくて困っちゃうね」とエミさんの声がした。実はNさんの夫は体調をくずし、入退院を繰り返していると後に聞いた。
「ちょっと、ちょっと、これお父さんの若いときの写真? ねえねえ起きて。お父さんイケメンじゃないの」とアケミさん。
「ねえ、ねえ、Nちゃんどうやって、引っ掛けたのか教えて」と、二人はしきりにNさんの気を引こうとしている。
「エミちゃん、その頃は、今と違って、男が女を引っ掛ける時代だったの。知らなかったぁー?」
「ええ、やだあー、知らなかった。いい時代だったんだ。羨ましい。アケミさんもいい思い、したことあるんですか?」
エミさんの声が、わざとらしく聞こえてくる。しきりにNさんの関心を向けさせようとしているのが見え見えだった。
「エミちゃんとは、二つ違いだよ。だから私達『ワ抜けコンビ』と呼ばれるんだよ」
少しむっとしているアケミさんの、感じが伝わってきた。私も初めて聞いた時「マ抜け」コンビと聞き間違えた。
「それって、パワハラじゃない? その力を逆手にとって、起こしてやる」
「もういい。Nちゃんがモソモソしてる」
「そっかぁ」
「エミちゃんのめちゃくちゃ会話のクソ力で、今日は早かったね」