上司からの理不尽な指示 「イエス・バット」のゲーム
どのように解決したらよいのか
さて、この事例の本質は一体何でしょうか。この上司は自分の指示したことを完全に忘れてしまっています。そして、私が「それはあなたが指示をしたのだ」と言っても、まったく耳を貸しませんでした。
一見すると、上司が自分の指示を完全に忘れてしまっているのですから、彼が私の言葉に耳を貸さないのは当然のことのように思えます。すなわち、上司が自分のした指示を忘れたことこそが、この問題の本質のように思えるのです。
しかし、物忘れや勘違いといったことは誰にでもあることです。誰かが物忘れや勘違いをするたびに、常にその相手は激しいストレス場面に巻き込まれてしまうのでしょうか。そうならば、人間社会では頻繁に、また場所を選ばず、ストレスがあちらこちらで発生していなければなりません。
実はそうではないのです。私が事実を話しても上司がまったく耳を貸さず、あまつさえ言いわけと思って怒り出したという点が、この事例の一番の問題点であり本質なのです。
完全に自分の指示を忘れてしまっていたとしても、部下である私の主張に耳を傾けることはできたはずです。そして、私の言い分を理解し、自分の思い込み(「研究所を手伝ってくれという指示はしていない」という勘違い)を修正していくことは可能なのです。
しかし、私の上司はまったくそうしませんでした。なぜでしょうか?
実は、この上司は「イエス・バット」のゲームを私に仕掛けているのです。このゲームは、相手の言うことをことごとく否定するゲームなのです。相手は何を言っても否定されるので、その結果、ものすごいストレスにさらされることになります。
「イエス・バット」というゲームの名前は、相手の言うことを「そうですね」と一旦受け止めたあと(イエス)、毎回「しかし、あなたの言うことは……」と反論する(バット)という局面から名づけられたものです。このゲームは、職場などいろいろな場面で実によく使われるのです。なぜなら、相手が何を言っても否定するだけですから、ゲームを仕掛ける側は、ゲームを極めて簡単に実行できるからなのです。
しかし、ゲームを仕掛けられたほうはたまったものではありません。何を言っても否定されることによって非常に大きなストレスを抱え込んでしまうことになるのです。つまり、相手を攻撃する側から見ると、手軽に実行できて、それでいて相手に極めて大きなダメージを与えることができる効果的な手法だということができます。