受け入れの病院が決まり、待ち構えていた私の前に、入ってきた救急車からストレッチャーで降ろされた父の顔は蒼白でした。
私はそこで初めて事態の深刻さを認識したのです。
左半身はすでに麻痺した状態でした。
まだ動く右手で父は、ものすごい力で私の手を握り締めました。
あれは私に対してではなくて、生きることにしがみついたのだと思います。
医師からは、「お父さんは脳梗塞です。すでに左半身に麻痺が回っています」と告げられました。
そういわれて見せられた父の頭のCT画像は、右半分が真っ白になっていました。
「あとはご本人の生命力ですね」と、医師に告げられましたが、私はこのときもまだ、「これで最期だ」なんて考えませんでした。
「ずっとずっと信心深かった父が、こんなに急にあっけなく召されるはずはない」
「父はカナヅチなので、きっと三途の川を渡り切れずに帰ってくる、そう信じよう」
そう自分にいい聞かせました。
毎日、面会に通い、冷たくなった父の手足をさすり続けました。
私たち父子がそうしているあいだも、入所の順番待ちをしている人がいるので、父の介護老人保健施設を解約しに行きました。
父がお世話になっていた介護老人保健施設も、特別養護老人ホームほどではないにしろ、空きが出るとすぐに埋まってしまうほど入所希望者が待機していました。
現在はもっと入所希望者が待機していると思います。
ケアマネージャーが私の顔色を見て、「あなたが倒れてしまうから」と、荷造りを手伝ってくれました。