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父との別れ
走馬灯のように思い出が駆けめぐるのかと思ったら、それも違いました。悲しいという気持ちはもちろんありましたが、続けて喪主を務めたため、感傷に浸っている暇がなかったのが正直なところです。
思い返すと私の家族は、ずいぶんとチグハグな関係でした。時代背景がそうさせたのか、それとも私たち親子が単に相性が悪かったからなのか、恐ろしく遠回りをして、やっと両親を看取ることができました。
完璧な人間はいません。ですから、完璧な親でも子でもなくてよいのです。私はやっとこの結論にたどり着きました。なにもこれは私だけに限ったことではなく、外から見ている分にはわからない、どこの家庭にもありうることだと思います。
本連載では、不完全な親と子があちらこちらにぶつかりながら一生を終えた物語を中心に、そのときどきで私が感じたこと、人生を終う「終活」について私が日ごろ感じていること、介護のあり方に対する考えなどをまとめたものです。特に、私たち家族のお終いを、皆さんに読んでいただきたいと思います。
父と私、そして別れ
私の父は、2016年6月に急逝しました。脳梗塞でした。倒れてから、わずか4日で亡くなりました。倒れるちょうど1週間前、私は介護老人保健施設で父に面会していました。お茶や水を飲まずに捨てていると、職員からの申し送りがありました。部屋を訪れて、「パパ、出されたお茶はパパの体に必要なものなんだから、捨てないで飲みなさいよ」と、私は父に注意しました。
父の死後、知り合ったリハビリ施設の方に、「お父さんは飲みたくても、そのときはもう嚥下(えんげ)ができない状態だったのかもしれない」と、教えられました。
そう聞いたとき、生まれて初めて、私は父から人生において最大で最重要なことを教わったように思いました。死に方のお手本を父が身をもって教えてくれたように感じたのです。倒れて4日あまりで逝ってしまう、それは私を苦しめまいとしたようでした。私も願わくば、自分の最期を父のように迎えたい、父のように死にたいと、このとき強く心に刻みました。