カナダ移住計画

そんなある日、イエローページに小さく載っていたあるFRP関連の会社から手紙が届き、スポンサーになるからすぐ渡航の手続きをしなさいという趣旨が認(したた)めてあった。

この一通の手紙が政裕たち家族の運命を大きく変えることになった。

直ちに理由をつけて会社をさぼり、カナダ大使館を訪問、T氏に会いスポンサーが見つかったことを報告した。

その数日後、大使館から電話を受け家族全員の面接と、身体検査を受けることになった。政裕の英語会話が試されたがなんとか合格。妻が結婚前に患った肺結核の病歴が発見されたが年月が経っていたのでパスになったのは幸運だった。

日本のパスポートを静岡で発行してもらいビザの証書がそれに添付された。

その数日後、天竜工場で製造部長の鮫川氏に大事な要件ができたので社長に会いたいから同行お願いしたいと言い、車で本社に向かった。

彼は政裕がよく会社を休むので何かあるなと感づいていたらしい。

社長にはなんと説明するか。天竜工場での政裕の存在は当初ほど重要ではなくなっていることは社長にもわかっているはずだ。政裕が退職してもそれほどの損失にはならないだろう。

退職することに何の障害もないと自己判断していた。少なくとも政裕が仕上げた製造ラインがかなり高率の利益を生み出している事実があり退職しても借りはない。これは西洋化成品を辞めた時と同じ状況だった。

ただ社長には家族ぐるみで大変親身なお世話になったことが心に残った。政裕は辞表を社長に提出した。天竜工場立ち上げの任務が終わり、この機会に自分の進退について以前から考えていたと、外国での仕事に挑戦したいと理由を説明した。

社長は黙って聞いていたが、"よしわかった"と一言。

そして、政裕の努力を労い、会社の役員にするつもりだったといってくれた。天竜工場で鮫川氏はじめ全員の前で一緒に頑張って完成に骨折ってくれた感謝と別れの挨拶をした。

皆はただ黙って聞いていたが、別れを告げる度に経験するある種の感慨が交錯していた。