天龍実業を辞める

遠州地方に来ていつも心の中にくすぶっていたことがある。

この地方には世界規模のメーカーがあり地方経済に貢献しているが、この背景には多くの部品下請け業者がある。

メーカーが品質と価額の要求度の設定を厳しくして、廉価で高品質の部品を仕入れる努力をするのは至極当然ながら下請け業者にはそのしわ寄せがくる。

政裕が住んでいた家の隣家の奥さんがワイヤーハーネスに使うビニール被覆銅線を作る仕事を請け負っていた。不良品が出ると裏庭でそれを燃やして銅線を回収していた。儲けが少なく不良が出ると赤字だといっていた。

あるピアノ弦のメーカーの社長も同じ経験があり一本不良が出るとそのバッチは全品交換され、厳しいですよと言っていた。

メードインジャパンの高品質の世界的定評にはこのような裏の事情があることは日本の産業界で受け入れられている常識であり、このような議論を巷で聞くようなことはない。

ただ政裕は大企業と下請け企業の従事者たちの待遇や生活環境上の格差の大きさがいつも気になっていた。社長のおかげでヨーロッパ旅行の貴重な体験が外国で仕事をしたい気持ちを増幅させていたことは実に皮肉なことではあった。

以前、西洋化成品を辞職する前に思ったカナダ移住のことが頭をかすめた。

東上線で、乗っていた車内の広告にカナダ移住のことが出ていた。その時はカナダに住んでみたいと現実に起こりもしないことを妻の晴子と話していたことがある。

しかしこの思いは脳裏に刻み込まれていて時々顔を出していた。今となってこれを実現できる可能性はあるかもしれない。

政裕は英語が現地でどのように通用するのか不安だったが何とかなるのではないか?

晴子は短大の英文科で勉強したことがあるのでこれも少しは役に立つのではないか?

重要なことは政裕の技術能力で、製品開発の経験が外国で通用するかどうか、それがどのように活かされるかだ。

数週間迷っていたが晴子がかなり積極的になっていたことが決め手になって、政裕はカナダ移住をやってみようと決心した。アメリカ移住も話題になったが政裕は興味がなかった。日本を徹底的に破壊した戦争の経験からアメリカ嫌いになっていた。

ブラジルの選択肢はあったがポルトガル語では言葉の問題があり、カナダは積極的に移住者を受け入れていたので可能性を感じていた。