金属バット息子殺害事件 ─もう一つの真実─

一九九六年十一月、中学三年生の息子を、父親が金属バットで殺害した事件があった。温厚な父親が息子の激しい家庭内暴力に堪えかね、殺害した事件である。

この事件に関してノンフィクション作家、吉岡忍氏が「文藝春秋」一九九八年一月号に「父親の真実─金属バット殺人事件─」というタイトルで事件の本質に迫ることの難しさを次のように述べている。

真実は一つ、だろうか。一つの出来事に百人が関われば、百通りの受け止め方がある。それは、百の真実があるというに等しい。その相違が一人のちがいを、個性をつくり出す積み石になると言ってもよい。まして殺人事件となれば、加害者から見た真実と被害者から見た真実とのあいだには目もくらむほどの深く、暗い河があり得るだろう。

夫婦仲のよい穏やかな家庭でどうしてこのような事件が起きたのか、親の育て方のどこに問題があったのか、小児科医の私にとってこの事件は背景のつかめぬ謎の事件であった。

ところが今になって、視点を変えてこの事件をとらえなおすことが出来ないか、という思いにかられるようになった。この事件をあらためて振り返ってみる。

事件の概要

事件当時の家族は、父親(当時五十二歳)、母親(五十一歳)、長女(短大生十九歳)、被害者の長男A(当時十四歳中学三年生・以下Aと略)の四人家族。

Aは、過敏な子で、頑固な登校しぶりはあったものの、小学校六年間を無欠席で通した。父親にもよくなついた。

しかし中学入学後、部活動になじめないこともあって、登校がますます苦痛になり、引っ越しを口にするようになった。あるとき、母親に「高いビルから飛び降りたら死ねるんだよね」と真顔で言ったこともある。

中一の秋、登校日になかなか起きてこないAを母親が起こしにいくと、不機嫌な顔で起き上がりいきなり母親を殴りつけた。以後、三日に一度は起き上がりざま母親を殴ってから登校するようになった。夕方うたた寝してテレビ番組を見逃したことで母親に激しく詰め寄り、押し倒して頭を踏みつけ母親の前歯を折ったこともあった。

翌年一月、暴力は父親にも及んだ。父親にプロレスのチケット券二枚(自分と父親の分)の購入を頼んだ。しかし並びの席が取れなかったことからAは逆上し、父親を殴った。

障害関係の出版に関わっていた父親は、「息子の暴力の背後に学校生活への不安や苦しみがある。そのつらい気持ちを受け止めねば……」と考え、抵抗しなかった。