第一章 宇宙開闢かいびゃくの歌

日本で映画雑誌の編集をしている友人から、今、インドで不思議な映画が撮影されている、との情報が手元にもたらされたのは、笹野がアメリカのフィラデルフィアにいた時である。

笹野は別に気にも留めなかった。何しろ一年に千本からの映画の生産国である。そのほとんどが、いわゆる歌、ダンスが主軸のマサラムーヴィーでインド国民の娯楽の捌け口として絶大な人気を博していることは、近年の日本での一時期、ブームを呼んだことで一般の映画ファンに知られるところとなった。そのなかには、一風毛色の変わった映画も存在するだろう。

友人はつけ加えるようにして言った。

「笹野、聞いて驚くな。最も奇妙なのはその映画が日本人監督で日本人主演だということだ」

(日本人だと……)

「そうだ。そしてその映画がインド神話を基にしたもので、どうやらアメリカ資本も絡んでいるらしい。となるとあの国のことだ、例のVFXがらみの、なにやら大仰な勧善懲悪っぽいファンタジー映画となる可能性が考えられるが、どうやらそうではないらしい。何よりもそれがマサラムーヴィー等とは一線を画した,かってないインド映画となりそうだ、ということだ」

「じゃあ聞くが、その映画はかってインドで撮影された同様の映画とどう違うんだ? また、かってないインド映画とは、どういう意味なんだ?」

「俺の持ってる情報によると、その日本人監督はインドで急激に売り出した新進気鋭らしい。従来のインド映画に欠けていた纏綿(てんめん)たる男女の絡み合いのツボを日本人らしい感覚で描き切り、評価を上げたらしい。そして今度満を持していたかのように、大作に取り組んだ。それがリグ・ヴェーダ神話をもとにしての宇宙観、現代インドと日本社会との繋がり、あるいは現代世界の行く末まで描こうというんだから、ちょっと想像がつかない。撮影場所は西ベンガル州のコルカタ。映画の題名は、『マルト神群』とかいうそうだ」

あまりに聞きなれない語句が先方から次々に発せられたので、笹野は頭の整理に少々の時間を要した。

「ちょ、ちょっと待ってくれ。今君の言ったリグ・ヴェーダとかマルト神群とかはいったい何なんだ」

「何だ、君だったら当然知っていると思ったんだがね。インドについての知識は俺よりも君のほうが断然上じゃなかったのかい」

「インドに行ったのはもうかれこれ六年も前になる。当然、記憶も知識も曖昧になる。それに、俺の知識はインドの古代の方面にはからきし貧しくてね」

「俺だってリグ・ヴェーダとかマルト神群とか言われたってどうにも説明の仕様がない。近代芸術の映画がそれに挑戦しようとしているんだ。どうだ、芸術、芸能、文化ジャーナリストの君には打ってつけだろう。どうだ行ってみないか、インドへ、コルカタへ」