中一ギャップで深刻なのは不登校です。不登校が長引くと、中学校の三年間すべてに及ぶことがあります。学力の問題や友達関係、中学校の対応が問題視されることもありますが、学校の対応だけでは対処が難しい場合があるのも事実です。
友達関係が悪いわけではなく、勉強ができないとしても将来を悲観するほどではない。目標がすごく高いわけでもない。しかし本人の感じ方は敏感で、完璧を好む。言葉の表現が上手ではなく、表情の変化が見えにくい。お母さんは人当たりのやわらかい感じで、子どもにもやさしい。けれど、不登校になる――。
このように、不登校になる要因というのは、簡単に把握できるものではありません。
また、社会活動をする気力をなくしていくように、一年生の九月ごろまでの間にゆっくりと不登校になるケースがあります。担任としてはいつでも迎える準備をして、家庭訪問をするようにしますが、登校を促す刺激をしてはいけない場合もあり、専門家の助言に従います。
こういう状況と友達関係のトラブルが重なると、それが不登校の引き金になります。しかし、不登校の原因がトラブルなのか、原因は他にあって、トラブルはその引き金になっただけなのか、わからない場合もあります。
中一ギャップは、学校と子どもと家庭の「どこかしらにある何か」をあぶり出すことになります。ちょうど同じ時期、私立中学校の多くは、バランスのとれた勉強と部活動の両立に成功し、蓄えを「生かして」さらに学力の積み上げを始めています。
公立中学校は、蓄えがなければ疲弊し、多くの人は蓄えがあってもその学力貯金を「取り崩しながら」仲間や顧問の先生とともに毎日を部活動に費やすことになります。
この差は、その後開いていく一方になりますが、本当に雑草のようにたくましい子たちが、公立中学校の現場から巣立っていくのも事実です。どこにいても、スゴい子はスゴいです。
これは本当に紛れもなく私が見てきたことですが、その一方で非常に多くの子どもたちがこのシステムに組み込まれたまま疲弊していくとしたら、私立と公立の教育のちがいが、将来の暮らしの選択幅の差になる現状もよく見る必要がありますね。