受験と合格
中学2年生になったとき、担任は変わらずK先生だった。最初は教室の端で静かに過ごしていたが、野球部のクラスメイトが話し掛けてきてくれた。G君だ。彼は、クラスで中心的な存在で面白く、頼り甲斐のある男だった。彼が繰り出すギャグに僕は笑いが止まらず、よくゲラゲラ笑っていたものだ。
そのうちG君を介し同じクラスの野球部とも仲良くなっていき、休み時間は馬鹿騒ぎする仲になった。中学に入って初めて学校が楽しいと思った。
中学2年生になると、神奈川県の公立中学で一斉に行われるアチーブメントテスト、「ア・テスト」なるものがある。このテストは高校受験の際にある程度の内申点の割合を占め、受験する高校の偏差値を決める指標となる。姉はア・テストがとても大事だと言う。
姉は頭が良く、当時偏差値52くらいの旭高校に入学していた。母親も姉と同じ旭高校に行きなさいと言う。こうして受けたア・テストはまあまあの出来だったけれど、偏差値は47くらいだった覚えがある。姉は偏差値50〜60くらいでA高校を受験している。後は、中学2年と3年2学期までの成績が反映される。
それでも僕の偏差値はA高校の受験偏差値にギリギリ引っかかるか、引っかからないかくらいの状態だった。母親は3年の2学期始めから家庭教師を雇い、受験勉強に備えさせた。確か英数の2科目だった。3時間みっちり勉強。しかし、あまり勉強が好きではなかったし、A高校の受験に乗り気ではなかった。
同級生の殆どが地元のB高校に行くから僕もそこに行きたいと思っていたし、偏差値から考えれば楽に受験できる。K先生も、B高校かC高校が妥当だと言っていたが、母親は頑なにA高校を勧める。
「B高校なんてだめ。将来履歴書に少しでもレベルの高い高校を書いたほうがいいでしょう?」とか、とてつもない偏見で判断していた。僕も反抗期だったから文句ばかり言っていたような記憶がある。