三
亜紀の愛が育まれたのは、元々、祖母からの影響が大きかったが、『女性差別』も当然のごとく受けた。
小学生のとき学校から帰宅すると、八百屋を営む祖母の包容力に充たされた。
「おー、亜紀ちゃん、帰って来たがかいね。よしよし、ぶっぶっぶっ」
抱きかかえてぐるぐる回し、キスをして出迎えてくれた。日曜日、街へ遊びに繰り出すときは、兄を亡き夫、亜紀を亡くした長女の代わりにして、デパートで好きな物を買ってくれた。
帰りに、レストランに寄って、料理を囲んで団欒した。祖母は賢い女であり、八百屋を経営するのが上手く、ライバルの店を何件も潰すほど大きくしていった。
しかし、無知無教養であり、昔の慣習通りかわいい女で、男を立てて頼った。だから、富山の実家の『長男崇拝』は当たり前で、『女性差別』も普通に行われていた。
亜紀は、産まれた瞬間から『女性差別』を受けた。兄が成績の良いのは当然のことで、亜紀は比べられながらも、学級委員、生徒会副会長となって付いて行った。
小学校の先生が、帰り道、祖母に会って報告していった。
「亜紀ちゃんが、あんなに上手に演説ができるとは思わなかったです。やはり、田中の家の子どもさんは良く教育されているのですね」
これを聞いた祖母は、褒められた喜びで上機嫌になり、亜紀に伝えた。
「小学校の先生たち、亜紀ちゃんのことを褒めておられたよ」
亜紀のことは、小学校の先生方から祖母へと筒抜けだった。
「どうせ、お兄ちゃんと比べたのだろう」
亜紀は、兄と比べられるのが面白くなかった。亜紀が、応援団長になったときには、家族総出で一日中運動場で見ていた。家族は、みんな嬉しかったのだろう。後になって、父に感想を述べられた。
「亜紀ちゃんが応援団長とは、驚いたなぁ」
そんなことを言われても、ちっとも嬉しくなかった。まるで、それまで目立たない存在だったと、亜紀自身に皮肉を言われているようだった。実際に、父は兄の大三(たいぞう)のことを贔屓(ひいき)していた。
「大三は、将来、総理大臣になるのだ」
これを聞いた亜紀は、お風呂の前にある洗面所の隅で泣いた。
「それじゃぁ、私は何になるの?」
人一倍自尊心の高い亜紀は、兄が羨ましくて嫉妬した。この頃の亜紀は脆弱で直ぐに自分をいじめた。
悲しいときや辛いときは、亜紀はピアノを奏でた。ピアノは、心を潤す親友であった。逆に、こんなとき、六歳のときからピアノを習わせてくれた両親に感謝した。
両親は、六歳のとき、ボーナスをはたいてピアノを購入してくれた。今現在でも、苦しいときや泣きたいときは、ピアノを奏でた。ピアノは、いつも、亜紀に寄り添って慰めてくれた。
中学生になると、新聞記者の父が東京へ単身赴任した。高校生になった兄に母は夫の代わりとして頼った。母は、兄の機嫌が悪くて相手にしてもらえないときには、亜紀に怒鳴った。