孟母三遷 母 ママの手は魔法の手♪

私は子育ての際、自然と母をなぞっていた。

母がプリンを作ってくれたように子ども達にお菓子を作り、母が編み物を教えてくれたように娘に教えた。習い事も同様、母が教養とたしなみの為にさせてくれたように子ども達にしてあげたかった。

母は月謝を工面(くめん)するために本屋さんで働いていた。

昭和40年代、習い事は今ほどバリエーションも無く、女の子の憧れといえばピアノ。私たち姉妹二人も揃って教室に通わせてもらった。

無理してピアノを買ったまではいいものの、家は二間で安普請(やすぶしん)。床が抜けては大変と床下にブロックを重ねて補強してから搬入した。布団を敷くのにも困る始末で、家族4人、ピアノの下に身を寄せ合って眠っていた。

好きな曲を弾けるようになることも、姉と一緒に「連弾」出来たことも、発表会に出られたことも嬉しかったが、自分が母親となり、娘たちと一緒にお稽古することが出来た時、幼い頃にピアノを習わせてもらったことを改めて感謝した。

母がパート代から捻出して月賦で買ったそのピアノは、今、母の部屋に置いてある。

70歳の頃、母は5年ほどピアノ教室に通っていた。孫と一緒にバイエルの練習をしたり、耳慣れた名曲のカバーを嬉しそうに弾く母は、とても幸せそうだった。きっと書道もピアノも母自身、幼い時に習いたかったのだと思う。

老後、時間と余裕が少しできて、やっと始められたお稽古に、一生懸命取り組む時の母は生き生きとしていた。そんな母を見られることが娘としても嬉しかった。

たまたま知り合いが先生をしていたご縁で、私は「お花」のお稽古にも通わせてもらった。遊び半分に始めたものだが、様々な花を組み合わせて生けることが楽しく、途中教室を変えながら、池坊の師範のお免状と「看板」を頂くまで続けた。

いけばな発祥の地、京都烏丸六角にある「池坊会館」で学ぶほど、一時期は熱心に取り組んでいた。

「道」がつくお稽古事は奥が深い。やればやるほど面白く難しい。花を愛でる楽しさを私は両親から学んだ。父からは育てることの喜びを、母からは生けることの楽しさを教わった。季節ごとに咲く沢山の花の名前を知って私の人生は豊かになった。