「俺のせいなんだ」

思い出したように吹き抜ける風が、わたしの泣き濡れた頬を撫でる。その風に舞うように紅の葉は落ち、鏡のような水面に頼りなく浮かぶ。

通り過ぎてしまったこと。戻らない人のこと。

後悔は、なぜいつも、先に立ってくれないのだろう。

心から血を噴き出したまま岸を見遣る。人だかりがあいもかわらず続いていた。すこしずつ知りあいの顔が増えてきている。中学生時代に仲良かった級友や、講演をきっかけに知りあった製薬会社の女性。

その他にも散髪屋の頑固親父やスーツの仕立てを頼んでいた紫髪のおばちゃんなど、懇意にしていた面々が加わるようになった。

そしてあることに気づく。その人たちは全員、わたしが思い描く彼らの姿にぴたりと一致していた。

彼らはまさしく、わたしの記憶を下地に形作られているらしい。魂が抜けたように能面ではあったが、現世で築きあげた絆が郷愁を誘う。やはり近しいものの存在は心の処方箋になる。

それと同時に強く思い知らされる。この世界で生命と呼べるたしかな存在は、わたしと庄兵衛だけなのだということを。庄兵衛とのあいだに結ばれたと思っていた絆も、すでに彼の手で断ち切られてしまっていた。

わたしはひとりだ。ひとりきりなんだ。

暗闇の世界の空気を吸い込んで、ゆっくり吐き出す。もうこの闇に溶けてしまえたら、どんなに良いだろう。わたしは自分を投げうってしまいたかった。

「母さんに、伝え忘れたことがある」

その言葉が合図となって、涙を塞き止めていた男の矜持という堤防は、あえなく決壊した。庄兵衛はなにも言わなかった。わたしは神の前で罪を告白する信徒のように、自分の業を吐露していく。

「本当は、ずっと側で見守っていて欲しかった。ひとりで暮らすなんて、そんなの寂しすぎるじゃないか」

舟は進む。人の世の後悔をふり返ることなく。水平線の向こうに光が見え始めていた。だがわたしは壊れた歯車のように言葉を紡ぎ続ける。

「なあ、答えてくれ、庄兵衛。わたしはなんなんだ。もうおまえしかいない、おまえしかいないんだ。母との再会を妨害したおまえが憎い。だがもう、おまえしかいない」

自分がどこからきて、どこに行くのか。自分はいったい、何者なのか。吐き出せない業苦が胸のなかで膨れあがり、出口を求めてのたうちまわっている。

「その答えは」耳介をくすぐる風は、すでに凪いでいた。

「諌さんにしか見つけられません」

わたしは肩を落として無機質な舟底を見つめた。

「庄兵衛は、厳しいのだな」

「ええ。わたしは傷つくあなたを慰めることすらできない、しがない船頭役です」

わたしは運命の小舟に身を委ねた。しばらくゆられていると、船縁に顔を乗せるわたしの視界に光が届いた。その横に立つ女性と視線が交わると、焦がれるような熱情が息を吹き返した。

眞理(まり)、次はきみなのか。

かつて医師の使命に燃えていた頃、わたしの傍らにいた女性だった。彼女は別れを決めた夜とおなじ、黒のドレスを身に纏っていた。

赤みを帯びた光は、わたしが送った年賀状を照らし出していた。

わたしたちは、街外れに新しくできたエスニック料理店で、グラスを傾けていた。

日本ではまずお目にかかれない幾何学模様のレースカーテンにゆったりとした曲調の民族音楽。各テーブルに置かれたキャンドルはまるで別世界へ誘うようで、恋人たちの逢瀬に色を添えていた。

「ねぇ、それで」

眞理はいつもよりうるわしい手つきでグラスを傾け、ぷっくりとふくれた唇から赤褐色の液体を飲み干していく。しあわせそうに息を漏らす仕草に、うなじのあたりがざわざわと騒いだ。机のうえにあったアボカドとエビのサラダ、ゴルゴンゾーラにバケットも、ほとんどなくなりかけている。

「そのあと、どうなったの」

これ以上はまずいと悟りながらもグラスを空にする。今宵はわたしにとって、存分に酔いしれる必要があった。眞理は白い指先で金属のベルをつまむと優雅に鳴らした。側に控えていた男の店員が膝を折って顔を差し入れる。彼女の妖艶さに、店員は息を呑むような仕草で厨房へと戻っていた。

「あのバイトくん、眞理に惚れたんじゃないか」

わたしの品のない発言に、眞理は肩をすくめた。