創業当時、おはぎはあんことごまの2種類。寿司に例えるならおいなりさんぐらいの大きさで甘さ控えめ。さっぱりした味わいで飽きずに食べられるおいしさだ。お彼岸、お盆の期間になると、『いち福』のおはぎは1日1000個以上も売れる。期間中は真夜中から起きて父は一人でそれを黙々とつくるのだ。
父はお酒が入ると私にそのときの話を自慢げにするのだ。
「お彼岸の一番忙しいとき俺が1日でつくる“おはぎ”の数は、大体何個ぐらいだと思う?」
「全然見当もつかないなぁ……。普段は何個ぐらいつくるの?」
「まぁ数十個ぐらいだべな」
「じゃあ200個」
「いや違う。もっとだ」
「じゃあ500個」
「もっと」
「1000個!」
「いや1400個だ」
「ええっ? 一人で? つくりきれんの?」
「夜中の12時からつくり始めて朝方4時までは“おはぎ”。そっからだんごつくって、そしたらまた“おはぎ”をつくって……。開店したらどんどん売れてくから補充補充でずっと」
「すごいね」
「まぁさすがに1400個つくったときは、手痛くなってもう限界だったな」
酒が入って呂律が回らなくなってくるころ、父はたびたびその話をした。酔っているから自分でも同じ人にその話をしていることに気づかないのだろう。私はすでに何十回と聞いていた。でも父が嬉しそうに話すから毎回はじめて聞くように反応していた。
父は酒飲みで甘いものをほとんど食べない。
自分でつくっただんごを試食するときも、最小限の量を口のなかに入れて食感と味を確かめる程度。自分から進んで甘いものを食べているところをあまり見たことがなかった。
そんな父のお菓子づくりの基準は“自分でも食べられる”だ。『いち福』のお菓子が甘すぎず、サイズも小さめなのは父が辛党であるのが所以である。