恩師
私は3歳の頃から喘息を患っている。
小学生の頃は夜中に呼吸が苦しくなり、病院に駆け込むことも少なくなかった。近くの総合病院でお世話になることが多く、この時の主治医が神代先生という女医さんだ。
神代先生は黒髪のボブで、いつも膝丈のスカートと、低めのヒールを履いて、白衣をまとっていた。年齢は40歳くらいで、子持ちのママさんドクターだった。頭の回転が速いせいか、とても早口で時々何を言っているのか聞き取れないが、責任感が強く、子どもに優しい先生だった。
きりっとした雰囲気だから最初は何だか怖かったが、驚くほど純粋な目をしている。
生まれた頃、人は皆透き通った目をしているが、大人になるにつれて、目はくすみ、少し偏ったものの見方をするようになってくる。
でも神代先生の目は違った。子どものようなきれいな目のままだった。
彼女と目線を合わせた時、その目が獲物を捕らえたかのように私の目の奥まで見透かそうとする。当時の私は素直な心に、温度を通さない固い鎧を幾重にも重ねており、そこらへんの大人には表面にある鎧しか目に映らなかったはずだ。
だから私の本心を知る大人はいなかった。
私のことを頭が悪そうで底意地が悪い、何を考えているのかわからない子と思っていただろう。それでよかったし、狙い通りだった。
しかし神代先生はその奥底にあった私の本当の心まで見透かしたのだ。
それを最初に感じた私は戸惑うことしかできなかった。他の大人には持ち合わせていない能力が彼女にはあるような気がした。あの目で見つめられたら、私は本当の私でいるしか選択肢がない。
神代先生は私の喘息の調子が悪い時は最優先で診察してくれた。
家庭があるはずなのに、夜中に病院に行くと、自宅からいつもすぐに駆けつけてくれた。どんなに遅い時間でも、嫌な顔1つせず、私の治療をしてくれた。呼吸苦から解放される気持ちも重なり、医者ってすごいな、と漠然とした憧れが生まれたのもこの時期である。
そして喘息になると母が優しくしてくれることや、夜中に病院までドライブできること、神代先生と会えることもあって、一度だけそんなに苦しくもなかったのに病院を受診したことがある。
その時は不思議と先生は来てくれなかった。何でわかるのだろう。
残念な気持ちもあったが、私は少しずつ先生に心を開き始めた。