前向きな台湾および中国の若者

日本の凋落は、裏返せば中国や東南アジア、欧米諸国の躍進・前進である。

2015年、筆者は台湾の鉄鋼メーカーから、棒線圧延の講演を依頼された。棒線圧延工場を見学後、30人ばかりの棒線技術者を対象に、塑性加工に始まり、圧延の力学、そして棒線圧延の理論と実際について講演した。日本鉄鋼協会でもたびたび講演している内容なので、地元台湾人の流暢な通訳に助けられ、1・5時間ほどで講演を終了した。

終了後、幹部による雑談を交えた食事会があり、さて辞去しようと思っていたところ、再び講演会場に戻された。そこには、講演を聞いた先ほどの若手エンジニアが待っており、質問タイムとなった。質問は40代、50代の幹部からではなく、20代、30代の若手エンジアからである。それから、延々3時間、理論的な質問だけでなく、現場操業技術や品質にまで及んだ。

若手エンニジアの表情は極めて真剣、好奇心に満ちており、お義理な質問などは皆無であった。終了後は、疲れよりも日本では味わったことのない、講演者冥利に尽きる清々しい気分を味わうことができた。

このような体験を日本で味わったことがない。日本では上司が出席する会議では、若いエンジニアはほとんど質問しなくなる。質問が出ても、直截な言い方ではなく、講演者に気を使い、質問の内容も焦点が絞れていないことが多い。一番の日本人若手の質疑応答の改善策は簡単である。海外の若手と一緒に講演を聞き、一緒に質疑応答することである。

ここで、著者の中国上海での経験談をご紹介しよう。

2019年の夏、中国地場企業のオーナー社長とそのご子息と会談する機会を得た。上海郊外でアルミニウムの押出し加工業を営んでいるが、その団地は地方政府から生命やITなどの先端産業に変換するため、移転を命じられたという。移転費用は支払われるが移転場所に不満があり、新しい場所を模索中とのことであった。まさに政府主導で産業政策が計画的に推進されている様子が窺い知れた。ご子息は米国ボストン近郊の大学に留学後、帰国した。

筆者がダメ元覚悟で「将来の夢は何か?」と質問したところ、目を輝かしながら流暢な英語で「米国留学の経験を活かし幅広い分野で活躍したい」と滔々と語りだした。中国にはこのような若者が日本の13倍いるかと思うと、背筋が凍る思いがする。なぜ「ダメ元覚悟か?」というと、日本ではこの類の質問にはまず「まともな答え」が返ってこないからである。日本の若者は将来や、夢を語るのが一番の苦手なのである。