無いない尽くしからのスタート

そんな時、知人が「顧問先を紹介してあげるから来なさい」と声をかけてくれた。

実際に訪問してみると、「就業規則で困っていて、作成をお願いしたい」との依頼であった。私が士業で営業をしていることを聞いて、関心を抱き、会社の就業規則の作成を私に託してみるとのことだった。

これが社労士として独立した私の最初の仕事である。感謝してもしきれないぐらい有難く、本当に嬉しかった。知人はさらにもう1社紹介してくれて先程と同じ業務を任せてもらえることになった。

その後、継続取引の顧問契約を結んでもらえる運びとなった。感謝の思いでいっぱいになると同時に、会社の根幹部分を託されたという責任の重みを背負うことになった。継続取引は、少なからず最短で1年、その後も継続していくのが前提の契約である。

しかし、顧問先が1社から3社では家族を養っていくことは到底できない。生活していくためには少なくとも数10社との顧問契約が必要となる。

託してもらうことができた業務をしっかり行うことは当然の上、並行して営業を行わなければならないことに酷く恐怖を感じた。せっかく私に託してもらったけれど、その期待に応えることができるのかなど、様々なプレッシャーが体と精神を襲ってきた。

29歳の6月には3番目の子どもが誕生する。ますます頑張らなければならないと気持ちばかりが焦っていった。

当時私は喫煙者であったが、吸っていた煙草の量は次第に本数が増え、ある朝、心臓に異変を感じた。一番忙しい朝から妻の車に乗り、病院へ駆け込んだ。

特に心配はないと医者に告げられ、安心する一方でこれまで外傷で病院へ行くことはあっても内臓疾患で病院へ行くことはなかったため、胸騒ぎがした。それでも特に仕事や生活の仕方を変えることなく、毎日プレッシャーと戦っていたが、その後血尿が出た。これには、流石に肝が冷えた。

今後どうなるのだろうかと自分の体に疑問を持ちながら、再度病院を受診することになった。幸いなことに肉体的・精神的な疲れによるものとの診断であり、「体調を整えながら頑張ってください」と医師から助言を受けた。

しかし、日々のプレッシャーが急に無くなるということは無く、精神的疲労から崖から落ちる夢を何度も繰り返し見た。元の会社員をしていた生活に戻ろうかという葛藤と悪夢に心が折れそうになった。

それでも心が折れなかったのは、家族がいたからだろう。「守らなければならない者がいる」「家族の笑顔がそこにある」それだけが、心の支えであった。そんな状況から5年くらい経過した頃、肉体的にも精神的にも安定するようになった。それは何とか生活していけるようになったからだろう。結局、収入の安定がプレッシャーの緩和に必要だったのである。