三か月前

小学五年からは、学童の軟式野球クラブに所属した。永吉は野球を、有花はバレーボールをやっていた事もあり、当然、蓮は運動神経が良かった。

蓮は、永吉との練習のお陰で、確実に相手の胸元に白球を放れるようになっていた。その的確なコントロールに監督の目が留まり、小学六年の時には投手を任せられた。強いチームではなかったが、クラブの皆と一緒になって白球を追いかける事は、蓮にとってどの遊びよりも楽しかった。

クラブに入ると、授業がない日には練習や試合で忙しくなり、永吉と会う時間は少なくなっていくのだった。蓮と永吉の別れは意外にも早くやってきた。その時、明確な別れの言葉があったのか、永吉と最後にどのような会話をしたのかを、大人になった蓮は残念ながら、思い出す事ができないでいた。これが蓮にとって、永吉との一度目の別れである。

中学に入った蓮は、迷わず野球部に所属した。小学四年の時に永吉から教わった野球は、夢中になって大好きになっていた。蓮は入部して直ぐに投手を任せられ、一年生にして三年生の試合にも出場した。二年生になり、蓮は主将に抜擢された。学校が休みの日には練習試合が行われ、有花は時々応援に出掛けた。

試合が終わり、家に帰ると、蓮がヒットを打ったり、いいプレーをした事を有花は褒めてくれた。それが蓮の野球の「やりがい」の一つでもあった。

しかし振り返ってみると、自分が主将としての役割を果たす事ができたのか、蓮には、自信を持てないでいた。チームを纏める力も、チームを前進させる牽引力も、どこか欠落していたからだ。

あまり頼りにならない主将を見て、チームメイトが「お前の代わりに俺が主将をやる」と言ってきた事は、一度ではなかった。しかし、一度決めた事は最後までやり通す、それが自分の使命だと腹をくくった。蓮は、その立場を断固として譲らなかった。それでも、結束力においては蓮の能力とは無関係に働き、確かなものであった。

その成果として、三年生最後の大会では、準優勝を果たしたのだ。それはきっと、勝負事ではなく、この仲間と出来るだけ長く野球を続けていたい、その一心がチームを一つに纏め上げたのだ。

俺達のチームを、そして俺達の野球をお父さんはどこかで見ていてくれただろうか。その蓮の想いは、永吉に届いていたのだ。中学を卒業した蓮は、無名の公立高校に入学し、硬式野球部に入部した。永吉から教わった野球を辞められなかったからだ。

地元の市立強豪校からの推薦も受けたが、その高校は過酷な練習で有名であった。蓮は勿論、行くのは控えておいた。

しかし蓮の考えは甘かった。無名の野球部とはいえ、中学野球とは打って変わって地獄の日々だったからだ。自転車通学の蓮は、片道一時間、往復二時間をかけて、数ある坂道を必死にペダルをこいだ。

朝は七時から練習が始まる為、毎日五時半起きだ。夜は二十時まで練習。その後グラウンド整備をし、学校を出るのは二一時。帰宅は二十二時を過ぎていた。

有花は働いていたので、その時間には寝床に就いている。テーブルの上にはラップをかけた夕食が、ぽつんと置いてあるだけだった。家に帰りついた蓮は疲弊していた。有花が作ってくれた夕食を食べた後、風呂にも入らずに居間で寝落ちして、次の日を迎える事も少なくなかった。