二週間の会期の後、町で唯ひとつのショッピングセンターのホールでさらに一週間、展示することになったのも、宗ちゃんの働きだった。この間、級友たちは当番を決めて会場に詰めていてくれたのだった。

「お世話をかけて申し訳ない」と言うと皆は「みんなリタイアして暇だからぁ、いいんだょ、喜んで来てるよ」と言ってくれる。私は幾度か往復した。行くたびに艶ちゃんはお手製のおむすびや漬物を用意してくれた。その美味しかったことを思い出す。展覧会の最後の日、「皆で城山で蕎麦をご馳走する」という。

城山は町のシンボル。標高百メートル余りの山で、頂上から町が一望できる。歴史を辿れば細川興元の立藩に始まるが、今は桜の名所である。その城山の頂上に、農家の三上さんが道具や材料を持ち込んで蕎麦打ちが始まった。

友人たちは、てんぷら、お刺身、饅頭などを手に次々と山を登って来て、まるで子供のようにはしゃぎながら、茹で上がったお蕎麦を桜の下で輪になって食べた。大作の一点は母校の中学校に、一点は宗ちゃんの世話で「ツインリンクもてぎ」に寄贈。小品の多くは級友たちが求めてくれて級友たちの温かさがしみじみと有難く、やはりここは私の故郷だと思った。

こうして思いがけなかった個展は大勢の記帳を残し、級友たちの支援を得て無事に終わった。それからはクラス会も同窓会も、できるだけ出席するように心がけた。

昨年のクラス会は、早春の伊豆稲取温泉への一泊旅行だった。町から出発したバスは東京駅の前で在京の級友たちを乗せた。満員だった。

車内では廣子ちゃんがニコニコ顔で迎えてくれて早速おしゃべりだ。町の様子、孫達のこと。宗ちゃんは、あんまり人が良いので町会議員の三期目は出馬できなかったことなど。閉鎖された専売公社の跡地には町のいろいろの施設が建てられる予定だという。

そこで私は廣子ちゃんにお願いをした。「もし町の施設ができたら、私の絵を飾ってもらえるように働いてくださる?」。私の頭の中にアトリエを占領している大作の数々があった。廣子ちゃんは快く引き受けてくれた。