昔の生活で使われていた道具類のほか、玉島は「麦稈真田(ばっかんさなだ)」という麦わら帽子が特産で、その行程の展示もありました。綿花は海に近い塩気のある土地でも出来たので木綿の製品もよく作られたようです。

江戸時代? の脱穀機「せんばこき」やら、もみすり機やらの農機具がありました。

私の幼いころ両親が田舎の祖父母を手伝って足踏み脱穀機を使っていたのを見たことがありますので、足踏み脱穀機が使われる以前はせんばこきだったのかと思いました。

連島、乙島、柏島といった島が点在していた源平時代?の地形が、高梁川の堆積物やら干拓やらで次第に陸地化する様子を示している地形図もありました。

そして、源平の「水島合戦」の古戦場がある事を知りました。古い地図に照らし合わせ、興味深く見学させてもらいました。

商店街には食べるところはお好み焼き屋さんくらいだったので山の上の国民宿舎良寛荘まで行きました。高い場所のレストランからは玉島大橋のあたりがよく見えます。

「今週の料理長おまかせ定食」924円

そこから徒歩5分くらい上がったところに、寛政年間に良寛さんが国仙和尚の下で11年間修行したという円通寺があります。

良寛像は1981(昭和56)年に作られたそうです。